広報ひゅうが平成22(2010)年8月号
福瀬の「開商之碑」

福瀬小学校跡に建つ「開商之碑」
福瀬地区上村は、耳川左岸に形成された段丘と小規模な扇状地の上に営まれている集落です。福瀬神社の周辺には県指定天然記念物のハナガガシ林が広がっています。
同地区福瀬小学校(平成23(2011)年3月閉校)の校庭の一画には高さ2メートルほどの石碑があり正面には「開商之碑」と大きな文字が刻まれています。これは、それまで美々津の廻船問屋が一手に握っていた「福瀬炭」の販売による利益を、生産者である福瀬の人びとも享受すべきであると考え、直接大阪商人と交渉するなど孤軍奮闘の努力をした田辺清吉を顕彰するもので、明治35(1902)年に建立されました。碑文は、当時の福瀬尋常小学校の校長杉田雅一が揮毫しています。
その頃、我が国は近代化の道を進んでいて、前年には富高と坪谷を結ぶ道路が開通し、さらに神門まで延長され、物流とともにさまざまな情報も飛び交うようになっていました。そうした世情の中、古い江戸時代の封建制度を引きずっているような空気を感じた清吉が、地元の権利を代表するかのように、ついに大阪商人との直交渉という勇気ある行動に出たものと考えられます。
これ以来、福瀬炭は関西で名の通ったいわばブランド品となり、博覧会で政府の表彰を受けたことでさらに販路も拡大して、生産者の収入も少しづつ増えて行きました。
石碑の序文に刻まれた「我が福瀬の地、山間壁遠の一つ、ただ木炭のみに頼り生活をなす」という一文は、当地の人びとが福瀬で暮らしてきたことの誇りを、声高らかに歌い上げたものと評価されます。
碑に刻まれているのは、清吉をはじめとする一部の人たちだけでなく、ここに生きる人びとが自分たちの歴史を確実に前へ進め、近代化の扉を開いたという時代の宣言でもあります。
日向市文化財でも紹介しています。ご覧ください。