所在地 / 旧福瀬小学校
東郷町山陰乙1812番地
指定年月日 / 昭和53(1978)年01月19日
幕末から明治前期にかけ、福瀬地区の山のほとんどは美々津商人の抵当に入っており、人々は木炭を生産してわずかな収入を得ていました。福瀬地区出身の田邊清吉(1832〜1902)は、大阪にて阿波屋商店山崎常次郎に交渉して成功し、明治16年(1883)8月、地区の物産を集めて直接取引をする「福瀬商社」を立ち上げ、経営を始めます。記念碑は、彼の功績を称え明治35年(1902)に建立されました。「開商之碑」の文字は子爵・内藤政挙(ないとうまさたか)の筆によるもの、碑文は当時の福瀬小学校校長・杉田雅一によるものです。なお、やや硬質な「福瀬炭」は、白炭と黒炭の中間である半白炭で、白炭より火付きが良く黒炭よりも長持ちするという、双方の良いところを併せ持っていました。山師が偶然誕生させたものですが、現在その生産技術は失われています。
所有者 / 福瀬区
整理番号 / 57