所在地 / 東郷町山陰乙231番地1
指定年月日 / 昭和53(1978)年01月19日
明治10年(1877)2月に勃発した西南戦争の薩軍兵士の墓です。熊本城の攻防戦に続き田原坂の戦いでも敗れた西郷隆盛(1827〜1877)率いる薩軍は、九州各地で戦闘を繰り返しながら撤退していきます。日向国も各地が戦場となり、現在の日向市域においては、耳川をはさんで北岸に薩軍、対岸に官軍という形で両軍が対峙し、激しい戦闘を繰り広げました。8月、薩軍は福瀬など各地に堡塁(ほうるい)を築くなどして守っていましたが、南郷方面から進出してきた官軍部隊に冠岳から砲撃を受け、さらに、耳川上流で渡河に成功した部隊に背後を突かれます。薩軍は大谷川をはさんだ柿ノ木田越の陣にて奮闘しましたが、次第に追い詰められ延岡へと退却しました。
この墓に眠る兵士は、福瀬地区出口(でぐち)へ逃げ込んだところ、官軍の残党狩りにあい逃亡を図って殺されたと伝えられており、現在も地区住民から手厚く供養されています。
所有者 / 出口組合
整理番号 / 56