所在地 / 寺迫小学校
東郷町山陰甲347番地
指定年月日 / 昭和53(1978)年01月19日
この記念碑は、寺迫の山林をめぐる住民と商人の対立について、住民側が利権の回復を記念し大正13年(1924)に建立したものです。文化12年(1815)、寺迫の人々は、延岡藩の豪商・石見(いわみ)屋小田文兵衛に山林を「山代手付銀弐貫目」で売り渡しました。その後、石見屋は寺迫の人々に断ることなく、天保10年(1839)から30年限りで山林を島原津之助へ売却し、島原はさらにそれを売り渡すなどして扱っていました。売り渡しに対する断りがなかったことや、買戻しの相談に応じてもらえないことなど、石見屋に対する不満を募らせた寺迫の人々は、慶應3年(1867)、門山の買戻のために動き始めます。8月には大庄屋へ、12月には大庄屋を通して代官所へ願い出ており、慶應4年(1868)にも、寺迫の45軒全員が署名した上で、役所へ願い出ています。抗争は、明治元年(1868)にようやく決着し、人々は山林を取り戻しました。その後昭和45年(1970)には、1,400haの山林を所有する法人寺迫生産森林組合が設立されています。
所有者 / 寺迫区
整理番号 / 58