日向市文化財

市指定文化財(City Designated Cultural Assets)有形文化財(美術工芸)

山陰百姓一揆供養塔The Yamage Peasant Uprising Memorial Pagoda

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所在地 / 成願寺 東郷町山陰辛11番地ロ
指定年月日 / 昭和53(1978)年01月19日

 元禄3年(1690)に発生した「山陰組百姓逃散一揆」は、延岡藩の苛政に対する訴えとして、山陰村らの百姓約1,500人が高鍋藩領の又猪野原(またいのばる)に立ち退いた事件で、幕府の介入を経て百姓が帰村するまでに300日もの歳月をついやしました。一揆の代表らは死罪などの処分を受けましたが、延岡藩との交渉で要求の大部分を認めさせる事に成功し、藩主有馬清純(ありまきよすみ)は越後国糸魚川(新潟県)へ転封となりました。代わって入部したのは、譜代大名で下野国壬生(栃木県)にあった三浦明敬(みうらあきひろ)で、一揆をきっかけに領地は譜代藩領と幕府領に分かれることとなり、有力な外様大名が多い九州の勢力配置図を塗り替えることになりました。供養塔は、一揆から120年を経た文化8年(1811)に、大庄屋寺原和右衛門と成願寺八世實門叟が犠牲となった21名の法名を刻み建立したものです。「朝参供養(ちょうさんくよう)」とは、この一揆の犠牲者の供養にあたり朝の暗いうちに隠れてお参りすることを指したものです。

所有者 / 宗教法人 成願寺
整理番号 / 53

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