所在地 / 東郷町山陰丙841番地乙
指定年月日 / 昭和53(1978)年01月19日
畝原覚之丞(うねはらかくのじょう)は延岡藩家老有馬忠右衛門の被官(家臣)で、林田半蔵らと共に元禄3年(1690)に起きた「山陰組百姓逃散一揆」を先導したとして取り調べを受けています。後に嫌疑が晴れ放免となり、高鍋藩領に逃散した百姓らを連れ戻すよう延岡藩に仲介を頼まれますが、百姓らと合流をはかり、自身も佐土原藩領へ立ち退きます。その後江戸へ召喚され、幕府の取調べのうちに獄死しました。元禄4年(1691)に建立されたこの墓碑は、中央に刻まれている法名と畝原家に伝わる位牌の法名が一致したことから、同人の墓であることが判明したものです。
※人物名は史料によって標記が異なり、「畦原」や「角之丞」としたものがありますが、この冊子では旧東郷町時代より使用されている漢字を採用しました。
所有者 / 個人
整理番号 / 54