広報ひゅうが平成23(2011)年9月号

寺迫の「利権回復之碑」


寺迫小学校に建つ「利権回復之碑」


 寺迫小学校の校庭に建てられている利権回復之碑には、寺迫地区の山林をめぐって起きた出来事が記されています。
 この山林はもともと寺迫地区の住民共有のものとして利用されていましたが、寛政10(1798)年に美々津町の木屋安兵衛と売買契約が結ばれました。内容は、山林の一部を17年期限で売却し、後に炭の売買利益で買い戻すというものです。ところが、木屋安兵衛が出炭量を偽り、買い戻しの精算が終わらないとして山林の一部を永代買い受けたと主張したのです。ひどく腹を立てた寺迫地区の住民は提訴し勝利。事件は無事に収束しました。
 しかし、幕末にこの山林をめぐって再び問題が起きます。当時、貧困に苦しんだ寺迫の住民は、延岡藩の豪商小田文兵衛に山林を永代売却したのですが、その売渡し証の文の中に「万が一、山から火災が発生した時は、この契約は取消す」という一文を設けていました。そののち山林で火事が発生したので、小田文兵衛に火の不始末について抗議しましたが、「自分の山を自分で焼いたのに何の文句があるか」との返答。これに激怒した住民は、山陰の大庄屋である寺原十三郎へ訴え、共に買い戻しの訴訟を起こしました。
 ちなみに、その際の訴訟費用や買い戻し金の調達に協力したのが、美々津町「松本屋」の岩本八太郎です。
 彼らは一致団結して勝訴を勝ちとり、山林は再び寺迫地区の住民の共有となりました。そのことを記念して大正13(1924)年に建てられたのが、利権回復之碑です。
 碑文には、小田文兵衛との契約から山林の利権回復までについて記されています。石碑に刻まれた寺迫地区の山林にまつわる歴史。ぜひ自分の目で確かめてみてはいかがでしょうか。


日向市文化財でも紹介しています。ご覧ください。

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