広報ひゅうが平成22(2011)年7月号
百姓たちの叫びをしたためた硯

東郷地区文化センターに展示している硯
東郷地区文化センターに展示されている硯。これは今から321年前の元禄3(1690)年に起こった山陰組百姓逃散一揆で、百姓たちが藩主有馬永純に提出した願書をしたためたものと言われ、縁の部分には玉を抱いて天に昇っていく龍の姿があります。山陰組百姓逃散一揆とは、延岡藩の約1400人もの百姓たちが隣藩の高鍋藩に逃げ出した事件です。
当時、度重なる大雨洪水により田畑は荒れ果て、収穫は皆無で百姓たちの疲弊は限界に達していました。幾度となく窮状を藩庁に訴願したものの聞き入れてもらえず、例年通りの年貢を厳しく取り立てられていました。そのような状況のなかで起こった山陰組百姓逃散一揆です。百姓たちは高鍋藩で抑留されることとなり、延岡藩との交渉が始まったのです。
当時の交渉は文書を通して行われ、記録も残っています。百姓たちは要求を小出しにしながら交渉を有利に進めていきましたが、延岡藩が強硬姿勢に変ったことで交渉は泥沼化してしまいます。その結果、交渉は決裂し江戸評定所の裁断を受けることになるのですが、百姓たちの要求の多くが認められた一方で、裁断は「百姓の落ち度」となり、たくさんの百姓が処刑されてしまいました。
そのため東郷地区には一揆犠牲者の供養碑がいくつかあり、成願寺にある「山陰百姓一揆供養塔」には犠牲となった22人の法名が刻まれており、毎年お盆の時期に犠牲者を追善供養する朝参供養が行われています。
ほんばちなみに、鶴野内区には願書などをしたためたとされる場所が「判場」と呼ばれる地名で残っています。
日向市文化財でも紹介しています。ご覧ください。