広報ひゅうが平成18(2006)年12月号
日知屋城跡

日知屋城跡全景
戦国時代の日向国では、都於郡(西都市)を本拠地とる伊東氏と都城盆地から宮崎平野に進行しようとする島津氏が各地で戦っていました。
そのころ伊東氏は、宮崎平野の大部分を支配し、要所に城を構えて外敵の侵入に備えていましたが、日知屋城もその中の一つでした。
東諸県郡綾町の「綾城」は、当時の城の代表的なモデルですが、日知屋城の場合は古い記録や絵図などが残っていないことから、どんな城だったのかくわしいことはわかっていません。
もっとも、現在の地形からみて、大規模な建物があったとは考えらませんが、かつては、城跡のあちこちで室町時代から戦国時代の「茶わん」や「皿」などを見つけることができました。
過去、日向市中央公民館の一高齢者ボランティア養成講座を受講された方々に、城跡の文化財調査をしていただいたことがありますが、その際に一も宋や明(中国)から輸入された青磁器や古備前焼のすり鉢などを多数発見しました。
また、昭和58(1983)年の夏には、城跡の西に接する野道遺跡が県道(お倉ヶ時浜・仙ヶ崎線)の開通工事に先だって発掘調査されていますが、この時にも、日知屋城跡とほぼ同じ時期の青磁器や陶器が出土しました。
この調査では、当時の屋敷跡とみられる建物の柱穴や石垣なども見つかっていることから、日知屋城の戦国武将たちは、日常生活を野首で過ごし、敵が攻めてくると城にこもって応戦したものと考えられます。
日向市文化財でも紹介しています。ご覧ください。