広報ひゅうが平成18(2006)年11月号

伊勢ヶ浜の古墳


柱状岩で築かれた石室


 伊勢ヶ浜から米の山に登る市道(伊勢ヶ浜・御鉾ヶ浦線)の入口から300メートルほど行った右手の雑木林の中には、3基の円墳が残っています。
 これらの古墳は、県の史跡に指定されているものですが、下の写真のように棺を納めるために柱状岩を使って築かれた石室だけが残っているものもあります。大正15年ごろに行われた発掘調査では、この石室の中から匂玉や皿、それに魚を捕るために使う錆などが発見されました。ちなみにこの石室の出入り口は南側につくられていて、周囲の雑木さえなければ石室の中ら伊勢ヶ浜を一望することができます。
 この古墳に葬られた人は、伊勢ヶ浜の入江を本拠地として活躍した海洋民だったのかも知れません。
 一方、平岩小学校の周辺にも昔はたくさんの古墳があったと言われています。
 昭和46年に小学校の体育館が建設された時は、敷地内にあった円墳が調査されていますが、その時の記録によれば古墳全体に大小の石が積み上げられていたと言うことです。
 このように石を積み上げて築かれた古墳のことを「積石塚」(つみいしづか)と呼んでいますが、積石塚は海岸部だけに見られる特殊なタイプの古墳で、これも海洋民の墓と考えられているものです。
この積石塚に葬られていた人も伊勢ヶ浜の古墳人と同じように黒潮洗う日向灘を生活の場としていたのかも知れません。
 これに対して8月号で紹介した古城ヶ鼻の古墳人は、塩見川や富高川流域の田園地帯を舞台に活躍した内陸民(農耕民)だったとも思われます。
 現在でも農業と漁業は、日向市の経済を支える重要な産業となっていますが、その歴史は遠く古代にまでさかのぼることができるわけです。


日向市文化財でも紹介しています。ご覧ください。

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