広報ひゅうが令和4(2022)年4月号
幕末から明治の記録−正法寺年中日誌

田畑高割帳
塩見中村に正法寺という寺があります。正法寺には第十五世細川宗慶が万延2(1861)年から明治13(1880)年まで記した2冊の日誌が残されています。
日誌は、市史編纂事業により活字化され、2巻にまとめられ刊行されています。
寺の住職が記していることもあり本山・末寺関係や檀家との関係の記事を中心に、文久2(1862)年2月、細島の海岸で寺田屋事件に関わった3人の遺体が見つかった事件(黒田の家臣)や、慶応4(1868)年の富高陣屋をめぐる延岡藩や鹿児島藩の動き、明治2(1869)年8月の細島家巻き一揆、明治10(1877)年の西南戦争のようすなどが記され、当時の市域の状況を伺い知ることができます。
このうち黒田の家臣に関わるものには、富高陣屋の手代である長谷川孝平が記した御廻状(ごかいじょう)の写しがあります。御廻状では遺体の容姿や傷、着衣などの状況のほか、それぞれの村で怪しい者などを見たら召し捕え富高陣屋へ訴え出るよう指示していることがわかります。
また、西南戦争については、政府軍や西郷軍の動向のほか、西郷隆盛や桐野利秋(きりのとしあき)の宿泊先、西郷隆盛は犬4匹を連れていたらしいこと、正法寺で負傷した西郷軍の兵士の手当てしたこと、西郷軍が去った後に政府軍が宿泊したことなど、宗慶が見聞きした当時の生々しい記事もあります。
日誌は、当時の本市域のようすを知るために必要な記事が多く記されている貴重な史料であることから、昭和5(1980)年に市指定有形文化財となっています。
日向市文化財でも紹介しています。ご覧ください。