広報ひゅうが令和2(2020)年10月号
日知屋城跡

伊勢ヶ浜から望む日知屋城跡
日知屋城跡は伊勢ヶ浜の南に突き出た小さな岬にあります。
戦国時代、日向国で大きな勢力を持っていた伊東氏の四十八城の一つで、塩見城、門川城と合わせて「三城」と呼ばれ、北の守りの要でした。
日知屋城に関する史料は少なく、築城や廃城の時期は明らかではありません。築城は鎌倉時代に伊東氏の一族で現在の日向市・門川町域を治めた日知屋氏か門川氏が築いた可能性が高いと思われます。
また、廃城は、江戸幕府の一国一城令の頃と言われていますが、それ以前の可能性もあります。
市では平成2(1990)年度に調査を行い、この時の試掘調査では、建物跡が確認されたほか、輸入された陶磁器の破片や古銭などが出土しています。
また、昭和55(1980)年度には城跡の西側で道路工事に伴う発掘調査が行われ屋敷跡を確認したほか、陶器などが出土しており、普段は城外で生活し、有事の際は日知屋城に籠り戦っていたものと思われます。
この城では、文明18(1486)年に伊東家の家督争いの中で前当主の弟である伊東祐色(すけむら)が殺害されています。 その後、細島に白馬に乗った武士が夜な夜な現れ、町中に病気が流行ります。これを案じた日要上人(にちょうしょうにん)が題目を書いた石を海に沈め読経し、鬼面の的を萬屋関本伊太郎・伊吹郎兄弟に矢で射させ、亡霊を鎮めたという伝説も残っています(的祈念の由来)。
現在、城跡では当時の曲輪(くるわ:平坦に整地され建物が立ち兵士が駐屯した場所)や土塁、堀切(敵の侵入を防ぐため地面を掘って溝にしたもの)跡を見ることができます。
一方で、日知屋城はその立地の良さから住民の憩いの場として大正15(1926)年には遊歩道が整備され、昭和に入ってからも石段や石積み等が整備されています。散策の際は、築城当時のものと見間違えないようしっかり観察する必要があります。
日向市文化財でも紹介しています。ご覧ください。