広報ひゅうが平成19(2007)年6月号

開商之碑


全景


 福瀬小学校の校庭には市指定有形文化財「開商之碑」が建立されており、毎年7月に福瀬区における先人の苦労や偉業を顕彰しようと、式典がとり行われています。
 東郷地区は、まちの中央を流れる耳川がわずかな平野部を形成し、小高い山々に囲まれた地形をしています。そのため古来より林業などが大変盛んで、現在でも山から受ける恩恵は多大なものといえるでしょう。
 福瀬小学校では児童らによる「緑の少年団」が結成され、環境美化や自然を守る活動を行っています。
 しかしながら、江戸時代末から明治にかけて福瀬の山々で生産された材木や木炭などは、美々津商人を介するため、地元の人たちが得る収入はわずかなものでした。そこで福瀬住民の田辺清吉さんは大阪商人と直接取引をすべく交渉し、明治16(1883)年に取引の約束に成功しています。以後、「福瀬炭」は上方においていっそう評価を受け、村人の生活も次第に豊かになっていったといいます。
 碑はこの功績を称え、明治35(1902)年に海野始さんら地域住民有志により建立されました。碑の文字は最後の延岡藩主であった子爵内藤政挙(まさたか)公の筆によるものです。「東郷村誌」では「福瀬炭」成立の由来が2説掲載されて正確には不明ですが、2説とも明治の初めに職人の不意な行動によって偶然出来上がったとされています。通常の製法よりも良質で倍増してできたことからこの製炭方法が広がり、生産を支えることになったようです。
 「福瀬炭」は白炭と黒炭の中間である半白炭で、双方の良いところを併せ持っていました。やや硬質の炭で、白炭よりも火付きが良く、黒炭よりも長持ちするという特徴を有していましたが、残念ながら現在ではその技術も失われてしまったようです。


日向市文化財でも紹介しています。ご覧ください。

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