所在地 / 若山牧水記念文学館
東郷町坪谷1271番地
指定年月日 / 昭和60(1985)年03月30日
若山牧水の祖父・健海(けんかい)(1811〜1887)は、江戸や福岡で漢学を学んだ後、長崎に渡り蘭学や西洋医学を修めました。その後、天保7年(1836)に日向国坪谷村へ来て医者としての仕事を始めます。当時流行病だった天然痘に有効な種痘術を学ぶため、嘉永3年(1850)1月再び長崎へ出向き、佐賀藩医楢林宗建(1802〜1852)より種痘術を伝え受け、出島蘭館医モーニケによる種痘術を観察しました。戻ってからは、元延岡藩医の福島退庵とともに日向国での種痘の普及に努め、同年3月6日には息子・立造(りゅうぞう)をはじめ10名に種痘術を施しました。彼はこのほか、山陰や下三ケ、美々津などでも種痘を行っており、古文書には、嘉永3年から慶應2年(1866)にかけて、彼が種痘を施した200人を超える被接種者の氏名、住所などが記されています。当時、種痘術が人々に受け入れられるのには時間を要し、政府によって公式に奨励されたのは明治時代に入ってからですが、その中にあって、健海がこの地に先進的な技術をもたらし、彼の努力によりそれが早い段階で広範囲に受け入れられていったことが分かります。
所有者 / 日向市東郷町若山牧水顕彰会
整理番号 / 63