所在地 / 大字細島5番地先
指定年月日 / 昭和9(1934)年04月17日
文久2年(1862)4月に京都で起きた「寺田屋事件」の当事者のうち、黒田藩士海賀宮門直求(かいがくもんなおもと)、肥前の中村主計(なかむらもんど)、但馬の千葉郁太郎(ちばいくたろう)が葬られています。三人はいわゆる勤王志士で、薩摩藩の有志とともに京都・伏見の寺田屋で倒幕計画を企てていたところを捕えられ、薩摩に護送される途中に、細島の「小嶋(こしま)磯」(正法寺年中日誌)で斬殺されました。遺体は一度、細島の観音寺に埋葬されますが、後に三人の終焉の地に改葬されたものです。墓石の隣には、三人の遺体を発見し手厚く葬った黒木庄八翁の石碑が並び、大正3年(1914)には明治時代に首相や陸軍大将などを歴任した山県有朋(1838〜1922)の揮毫による石碑が建てられました。毎年5月には供養が行われています。
所有者 / 国有地
整理番号 / 15