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農業

更新日:2023年8月3日

農業委員会トピックス

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令和5(2023)年8月3日

笑顔がつなぐ人との絆 養豚業、ひょっとこ踊りの二刀流

市内で養豚業を営む髙橋安光さん(65歳)を紹介します。
髙橋 安光さん[プロフィール]
昭和32年生まれ。日向市で育ち、宮崎県立高鍋農業高等学校園芸科へ進学し、卒業後、熊本県河内町(現在は熊本市に編入)のみかん農家で、2年間みかん栽培技術を学ぶ。昭和52年に帰郷し、日向市の実家で、みかん栽培と養豚業を営みはじめ、平成27年に法人化し「髙橋ファーム株式会社」を設立。現在は、従業員含め5名で養豚業を営む。幼いころから慣れ親しんだひょっとこ踊りをずっと続けており、「永田のひょっとこ踊り(市指定無形民俗文化財)」の保存と継承を行う日向橘ひょっとこ踊り保存会会長を務める。

[始めたきっかけ]
幼い頃から長男だから家業である農業を継がなければならないと思っていました。思い返してみても農業を始めるきっかけとなった理由はこれだけでしたが、気がつくと、40年以上農業を続けていました。曽祖父と祖父は戦争で亡くなってしまい、残された家族で主にタバコを栽培していましたが、タバコの価格が下がると、みかんの栽培に切り替えるなど、その時代にあった農業を模索し、父の代に養豚業を始め、現在まで30年ほど続いています。

[経営について]
現在、母豚が160頭で全ての豚を合わせると常時約2,100頭を飼養しています。過去に、ベテランの従業員2名が同時期に退職することになり、甥と自分の2人だけで、どう続けていくか途方に暮れたことがありました。しかし、過去の縁から、新たに一緒に働いてくれる方が見つかり、今の体制で養豚業を継続することができるようになりました。人との縁に救われたと強く思う出来事です。ある程度の規模縮小を行いましたが、結果として、1頭ごとにかけられる時間が増え、肉質の向上に繋がったと思います。

[苦労しているところ]
一番は経費の6割を占める飼料代が高騰していることです。高騰前の1.5倍以上の価格まで上がっており、ずっと続くとどの業者も廃業に追い込まれる状況だと思います。大手農家も廃業が相次いでおり、危機的状況です。自社の対策として、善玉菌の集合体と言われるEM菌などを飼料に加えることで、腸の活動を活性化させ栄養の吸収効率を上げて、比較的少ない飼料での体重の増加を行っています。

[こだわり]
飼養環境においても、肉においても、極力「臭みを出さない」ことに一番にこだわっています。平成16年から飼養場に浄化槽の設置が義務化されたことをきっかけに、EM菌を浄化槽へ導入しました。その結果、従来100日間ほどかけて、排泄物の処理を行なっていたのですが、機材への負荷を減らしつつ、30日間程度で処理できるようになりました。そして、作業場全域でハエを見かけなくなりました。また、ハーブや薬草、EM菌をブレンドした飼料は、肉そのものの臭いはもちろん、排泄物の臭いや量の抑制する役割も果たし、臭いを元から断つ取り組みを重視して行っています。
ひょっとこポーク

[日向ひょっとこポークについて]
自社のブランド名を考えるにあたり、なるべくオリジナル性があって、インパクトのある名前をつけたいと思っていました。その結果、日向を代表する踊りで自分の大好きなひょっとこ踊りを使うと良いと思い、「日向ひょっとこポーク」と名付け、商標登録を行いました。また、これまで行ってきた取組が、肉質の向上にも結びつき、多くのお客様から、臭みを感じず、さっぱりとした甘みと脂身がおいしいといった評価を頂いています。肉の臭いが苦手で、豚肉が食べられないと言っていた方が、この肉なら食べられると言っておいしそうに食べている姿を見ると、本当に嬉しくなります。油がサラサラしているので、肉がとても切りやすいと加工業者の方からもお褒めいただいており、現在は、真空パックで生の肉を安全に全国の消費者へ届けることができるようになりました。

[ひょっとこ踊りについて]
物心がついた時には、自然に生活の中にありました。運動会等のイベントの時にも踊りますが、何気ない日常でも、友達同士でおどけて踊っていました。高鍋農業高等学校の入寮パーティでも踊ったら、とても盛り上がり、その後30年ほど続く恒例行事になっていたようです。大人になっても、初対面の方へ踊ってみせたところ、一緒に踊って仲良くなる等、ひょっとこ踊りには、人を笑顔にする力があります。ひょっとこそして、驚くべきことに、ひょっとこ踊りがしたいと言って、県外から移住してきた人まで現れました。自分にとって、ひょっとこ踊りは、生活の中にあって当たり前の存在でありな がらも本当に特別で奥深い存在です。そして、日向ひょっとこ夏祭りも今年で、第40回を迎えることになり、始まる前から大きな盛り上がりをみせています。ぜひとも多くの方に来ていただければ嬉しい限りです。


[今後の展望について]
まだまだ自社ブランドの知名度を上げていきたいので、もっと仕上がりに独自の色を出せるようにしていきたいと思います。そして、まだ先の話ですが、一緒に養豚業を営んでくれる従業員をはじめ、思いを継承してくれる誰かが後を継いでくれたら嬉しく思います。自分は、91歳まで農業を続けた父のように、生涯現役を目指し、どのような形でも農業を続けていきたいです。これまで、地域のためにPTA会長や幼稚園の理事など引き受けてきたことや、ひょっとこ踊りを通して縁が生まれ、その縁に思いもしないような場面で助けられたことがたくさんあります。その縁が「絆」となり、農業経営をここまで続けてこられたと思います。その「絆」に深く感謝しながら、美味しい肉づくりを目指していきたいと思います。


よろしければ、こちらもご覧ください。

髙橋ファーム株式会社ホームページ


令和4(2022)年11月4日

夫婦揃って農業こそ人生、営農50年目のミニトマトづくり

寺原勝さん・はま子さん夫婦市内でミニトマト農家の寺原勝さん(69歳)寺原はま子さん(67歳)夫婦を紹介します
[プロフィール]
寺原勝さん)
昭和28年生まれ。神戸市で育ち、建設関係会社に就職。20歳の時、祖父母の住む東郷町坪谷に住み、建設関係の仕事をしながら稲作の手伝いを始める。今年で農業を始めて50年目。趣味は仲間達と夜釣りに行くこと。
寺原はま子さん)
昭和30年生まれ。市内の高校卒業後、市内の会社に就職した。勝さんと結婚後、会社勤めをしながら稲作の手伝いを始める。同じく、今年で農業を始めて50年目。

趣味は友人と旅行に行くこと。
[始めたきっかけ]
昭和48年に坪谷の実家で暮らすようになってから、兼業で父が始めていた稲作を手伝っていました。それから、昭和54年に結婚し、しばらく夫婦で稲作と会社勤めをしていました。転機となったのは、教育資金を得るために条件の良い作物を検討したところ、ミニトマトが良いと周囲から勧めがあり、平成3年から専業農家になりました。初めは、露地栽培を行っていましたが、平成7年に、土の菌が原因で急に株が緑色を残したまま枯れてしまう青枯病(あおがれびょう)が発生してしまいました。そのことをきっかけに、今も続けているビニールハウス栽培に切り替えました。当時は稲作に加え、ビニールハウス2棟を経営し、毎日朝7時から夜8時まで毎日作業していました。加えて、梱包は手作業で、出荷時期は夜通しで行っていました。
[作業について]
平成7年から現在まで、ビニールハウス内で土や固形肥料ではなく、時期に合わせて適切な量と濃度の液体肥料を与える水耕栽培という形式で栽培しています。長年2棟のビニールハウスで行ってきたのですが、管理が行き届かなくなりそうだったため、2年前から1棟のみの栽培に絞りました。収穫量は減りましたが、朝8時~夕方5時までの昼間の明るい時間帯で十分作業が終わり、満足に手入れもできるようになったため、結果的に良かったと思います。お盆頃に苗を植えて、10月下旬頃から出荷が始まり、翌年の6月頃まで続きます。
品種については、現在サマー千果(ちか)という品種を栽培しています。一般的なミニトマトの糖度は4~6度位で、フルーツトマトと呼ばれるものが8度以上ですが、この品種は9度以上まで高くなります。糖度は高いですが、甘さと酸味のバランスがとても良く、成熟すると鮮赤色で美しい光沢の果色になります。例年1アール当たり1t位の収穫量なのですが、昨年は1.1t/aと好調で、今年はさらに出来が良く、1.2t/aの見込みです。品質についても、順調に育っており、 良質なものが多く収穫できると期待しています。
[苦労していること]
まず、燃油代が高騰していることです。農業を始めた頃には50円/ℓだったのですが、現在2倍以上になっています。梱包資材代や送料も値上がりしており、今後も気がかりです。ビニールハウスでの水耕栽培に切り替えた際、初めは上手くいっていましたが、すぐに苗の育ちが悪い等様々な問題が立て続けに起こりました。そのような状況の中、JA日向営農指導課等支援団体から指導を受けて、そのことが多くの問題解決や予防に結び付きました。営農指導担当の方々は、長年日々研究と勉強をされて、そのノウハウが過去から現在までの担当に引き継がれており、非常に頼もしい存在だと感じております。また、日向・東郷・西郷・門川地区のミニトマト部会は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、現在開催できませんが、月に一度勉強会を行うなど盛んに交流があって、お互いによく知った仲です。選果場で共同出荷していることもあり、お互いに品質を落とさないよう、日頃から注意を払って選別に取り組んでいます。
[こだわりを教えてください]
トマト成熟前とにかく病気を出さない、出しても被害を最小限に食い止めることを一番にしています。病気や害となる生物は多種多様で、季節ごとに異なるため、ビニールハウス内の環境だけではなく、周囲の草刈りも重要です。また、病気の早期発見や苗の状態をこまめに確認するため、日中だけではなく、夜間にも苗の状態を確認しています。夜の状態を見た時、葉が立っていることが強い苗の証です。長く苗が強くあると、薬剤の使用量は少なく済み、収穫量は多くなります。様々な問題を乗り越えて、無事に果実がなり、うっすらと赤みが出てきている様子を見る時が、何年続けても変わらないとても嬉しくなる瞬間です。
[長年農業を続けてきたことについて]
スイカ50年農業を続けてきていますが、今日まで辞めようと思ったことは一度もありません。自分達には、農業しかないと今でも思っています。生活のためということで続けてきた部分もありますが、夫婦揃ってとにかく楽しんで農業を続けています。ミニトマト栽培を行わなくなったハウスの中で、本業ではありませんが、ネギやハクサイ、ダイコン、タマネギの苗等を栽培しています。主な手入れは、ミニトマト栽培の空き時間で行います。今年は、食べ終わったスイカの種を植えていたら、立派なスイカが育ってきました。できた作物は、道の駅へ出品したり、自分達で食べたり人にあげたりしています。遊びで育てていますが、食費やお酒代の助けにもなっています。農作業に集中していると、一日があっという間に過ぎ、夜もぐっすり眠れるので、心も体もとても健康な生活を送れていると思います。また、釣りや旅行などの趣味を持つことも、長年農業を続けていく上で大事だと感じています。
[今後の展望は]
稲作は、現在の90aから来年は60aに規模を縮小しようとは思っています。ミニトマト栽培に関しては、ほとんど重労働がないため、現在の規模でしばらく続けられると思っています。また、県外に出ている息子達が帰ってきて、あとを継いでくれることが一番望ましいとは思っています。


令和4(2022)年10月3日

親子で育てるみかん畑の地頭鶏

細川豪邦さん・潤将さん市内で養鶏業を営んでいる細川豪邦さん(59歳)と細川潤将さん(28歳)親子を紹介します。
[プロフィール]
細川豪邦(ほそかわひでくに)さん
昭和38年生まれ。市内の高校を卒業後、重工業メーカーに30年間勤務。平成19年から兼業で農業を始め、体が元気なうちにやりたいことをやろうと考え、会社を退職し、平成26年に専業農家になりました。
細川潤将(ほそかわみつゆき)さん
平成6年生まれ。市内の高校を卒業後、東京都内の大学に進学し卒業。23歳で日向市に帰郷後すぐに父から誘われ、人手が足りないと知っていたこともあり、農家になりました。
[始めたきっかけ・飼育について]
豪邦さん)
中学生の時には、既に家業であるみかん・へべす・しきみ栽培の手伝いをしていて、将来的には農業をしようと思っていました。いつの時代から始まったかわからないほど、先祖代々農業を家業としており、父も79歳に事故で亡くなる当日まで農業を続けていました。養鶏業を始めたきっかけは、平成19年にみかん栽培の雑草対策で、ニワトリをみかん畑で飼育を始めたことです。また、翌年から、地頭鶏の飼育を始め、現在も続けています。始めた頃は生鶏の出荷だけでしたが、今年令和4年から地頭鶏の生産加工と炭火焼きまで行うようになり、市内飲食店や宮崎市のホテル、東京・大阪・福岡などの大都市のホテルに取り扱っていただいています。また、工程の一つに出荷前のニワトリを捕まえる「捕鳥(ほちょう)」という 作業があるのですが、地頭鶏にも人を覚える位の知能があります。そのため、自分の場合はどうしても逃げられるため道具を用いてますが、息子の場合は、日々地頭鶏に接しているためか、警戒されず、素手でスムーズに捕まえています。地頭鶏農場
潤将さん)
父からの誘いを受けて、初めは、基本となる飼料の詰め方・捕鳥の仕方・雄雌の見分け方を学ぶことから始まりました。飼料は1袋20キログラムもあり、始めた頃は、給餌に1時間半以上かかり、手の皮もよく剥けていました。現在は、父が鶏肉の加工のため、朝4時半には美郷町の加工場に向かうことから、特に午前中の作業は基本的に毎日一人で行っています。
[苦労していること]
豪邦さん)
まず、始めた頃からイタチ・タヌキ・イノシシなどによる獣害に苦労させられてきました。一晩で30~40羽、一番多い時には、200羽以上の被害にあったこともあり、被害に遭ったとわかった時は、頭が真っ白になります。辛い思いをしないためにも、毎日の戸締りや侵入防止対策を徹底しています。今、ウクライナ情勢の影響で、特に経費の7割近くを占める飼料代が従来の3割ほど値上がりしているため、その対応にも苦慮しています。近年の気温上昇も気がかりで、特に生後2週間までのヒナの時期は、体温調節がうまくできないため、常に室温32℃の環境で飼育する必要があります。しかし、現在の設備では、気温が38℃を超えてしまうと対策できず、飼育できなくなってしまいますので、成長した地頭鶏にも影響し、高気温になると大量死してしまいます。
[こだわりを教えてください]
豪邦さん)
極力地頭鳥にストレスを与えず、のびのび過ごせる環境をつくり、保つことにこだわっています。みかん畑で育てることで、周囲の林やみかんの木で木陰が確保でき、地頭鶏が快適に過ごせる環境を整えることができています。また、農場に雑草が侵入してしまうと環境が損なわれるため、日々雑草とも闘っています。飼育密度も宮崎地頭鶏の基準である2羽/平方メートルよりも少ない、1羽/平方メートル以下に抑えて快適な環境を追求しています。日々の努力の甲斐もあり、品質を認めた大都市のホテルなどが、年に3、4回来園し、商談を行っております。
地頭鶏[今後の展望は]
豪邦さん)
現在は、年間12,000羽を出荷していますが、販路の拡大や6次産業化に力を入れ、単価の向上を目指し、飼育羽数を減らしていきたいと考えています。飼育羽数を減らすことで、労力の軽減に繋げて、親子で永く続けていきたいと思います。
ぜひこちらもご覧下さい。
みやざき地頭鶏事業協同組合公式ホームページ


令和4(2022)年8月9日

受け継いだへべすを世に広めたい

黒木輝久さん2市内でへべす生産を営まれている黒木 照久さん(50歳)を紹介します。
[プロフィール]
1971年千葉県千葉市生まれ。千葉で通信会社に勤務した後、父から農業を継ぐことになり、2020年4月に日向市へ移住と同時に農業を始め、現在2年と5ヶ月になります。
[始めたきっかけを教えてください>
幼少期から日向へ訪れるたびに、祖父の背中を見て農業への憧れを抱いておりました。現在の住まいと農地は曾祖父が開墾を行い、祖父がへべす黎明期から栽培を始め、父がそれを受け継ぎ、自分に託されました。先祖代々が大切に育ててきたものを守っていきたいという気持ちからへべす農家になりました。
[苦労していること]
農業を始めて1年目に農業を教えていた父が認知症と膠原病が進行し、一緒に農業が出来なくなったことです。父は病の身体をおして痛みに耐えながら、秋口に露地の剪定の仕方を見せた後、作業が出来なくなりました。気力を振り絞って最後の引継ぎをしたのだと思います。また、1匹のカミキリムシが原因で、祖父の代から育てていた樹齢30年以上のへべすの木が枯れた時は、実害よりも精神的にショックを受けました。
しかし、へべすを広めるためのホームぺージやロゴの作成してくれた方、樹勢維持を教えてくれた方、他県から様々なへべす料理を作って写真を送ってくれる友人たちなど、たくさんの方々の協力と祖父の代から残してき たものを守っていきたいという想いで何度も乗り越えられたと思います。
へべす料理2[こだわりを教えてください]
「良い実は良い葉から 良い葉は良い土から」ということで、土の改良はもちろんですが、蕾に一番近い葉に肥料を葉面散布(葉にも肥料を与える手法)や防除を行い、健康な葉を維持するために努力・工夫をしています。
また、自宅の庭から農地が広がっている環境のため、常日頃へべすの状態を確認しています。
へべす2[今後の展望は]
ハウス栽培のへべすをより大きくするため、現在土の改良を試行錯誤しているところです。 また、より安心安全なへべすづくりを目指して、有機栽培に取り組んでいきたいと考えています。 そのために、生産量の拡大や有機栽培などの試験のための圃場が拡大できればと考えており、ビニールハウス付きの農地があれば、ぜひとも購入したいと思います。
試してみたいことをやりながら、へべすの存在をもっと広く知っていただけるように日々精進していきます。
ぜひこちらもご覧下さい。
黒木へべすファーム公式ホームページ


令和4(2022)年6月16日

最高においしいライチを届けたい

黒木義克さん市内でみかん・マンゴー・ライチ生産を営まれている大黒園代表の黒木義克さん(49歳)を紹介します。
[自己紹介]
高鍋農業高校卒業後、静岡県興津果樹試験場(現カンキツ研究興津拠点)に進学し、20歳の時に日向市の実家へ戻り、祖父の代から続くみかん農家を継承しました。その後、22歳の時に日向市初のマンゴー生産を行いました。ライチは42歳の時から試験的に苗を導入し、今年で8年目になります。
[始めたきっかけを教えてください]
農業を始めたきっかけは、家業であり、長男でもあるという思いからです。もし、農業以外の仕事をするなら、物をつくることが好きなですので、機械工作等に就いていたと思います。
ライチ[苦労していること]
20年ほど前には40円/ℓだった燃料代が現在2倍以上に上がるなど、資材費等の高騰による経費負担の増加への対応に苦慮しております。
[どのようなライチを作っているか教えてください]
新鮮な生ライチは殻が深い紅色で果肉は瑞々しく透明感があります。
味わいは、果汁がたっぷりで甘すぎず、ほど良い酸味と生ライチ特有の食感が楽しめます。また、栄養面でも優れており、特に葉酸が多く含まれているため、貧血予防の効果が期待できます。葉酸は、厚生労働省からも、特に妊婦へ妊娠初期からの摂取が推奨されている栄養でもあります。また、風邪や高血圧予防、美肌効果が期待されるビタミンCやカリウムも含まれております。
ライチ・マンゴー[今後の展望は]
ライチの生産量を伸ばしつつ、観光農園といった生産以外の取組にも挑戦できたらと思っています。また、生涯現役でいたいところですが、体が動くうちに、事業承継についても考えていかなければならないと感じています。
ぜひこちらもご覧下さい。
Facebook  https://www.facebook.com/daikokuen/


令和4(2022)年5月31日

牛のためにこだわり抜いた環境づくり

股野さん日向市農業委員会の会長であり、市内で畜産業を営んでいる股野満男さん(73歳)を紹介します。
[自己紹介]
高校を卒業して、15年間サラリーマン、35年間自営業(ブロイラー)をきて、令和 3年4月から初めて千切り大根と繁殖和牛の多角経営を始めました。自分の代から独学での挑戦だったため、失敗の連続でしたが、現在やっと軌道に乗り始めたところだと思います。
[どのように育てていますか]
900坪の敷地の中に、1つ1つのスペースにゆとりを持った簡易牛舎を建て、全面に牧草を育てており、現在母牛が8頭と繁殖させた仔牛を3頭飼育し、なるべく広い土地で放牧のような方式で育てています。仔牛は8ヶ月~10ヶ月間飼育して肥育業者へ出荷しています。
放牧牛[こだわりを教えてください]
命を頂いているということから、なんとしてでも牛を大事にしたいと考えていたところ、牛を快適な環境で飼育することにより、ストレスや疾病を減らせることがわかりました。このようなアニマルウェルウェアの理念が、生産性の向上や安全な畜産物の生産にも繋がることを知り、できるだけ快適な環境を用意しストレスをかけず育てることを目指す現在行っている育成方式になりました。
[これまで苦労したことは]
始めたばかりのころは、特に餌の調整とお産について不安だったのですが、同業者の方々に助けてもらい、改めて助け合いの心が大切だと思っています。このことは、農業に限らず 人生の中で最も大切なことだと自分は思っています。 また、自然相手の取組となりますので、天変地異の影響についても機敏になりました。 70歳を超えていますが、未だに日々学ぶことばかりです。
[今後の展望は]
後継者にしっかりとしたものを残したいため、放牧に使える敷地の面積と母牛を増やすことで、収益の増加を目指して多角経営を確立したいと思っています。
また、息子とこれからも色々な勉強を一緒にしていき、日々精進していきたいと思います。


令和4(2022)年4月21日

年間2000個以上のアボカドを

奈須さん市内でアボカド生産に取り組まれている奈須一也さん(55歳)を紹介します。
[自己紹介]
日向市生まれ、日向市育ちで25歳から30年間、住宅設備に携わっています。50歳からは父に代わって経営もしています。実家も農業はしていないので、農地も農業経験も無かったです。
[アボカドの栽培を始めたきっかけ]
会社経営をしている友人たちと、今の事業プラスアルファ、何か事業をしたいということをよく話していました。その話題の中で、アボカドのブームが来るかもしれないと聞き、農業分野に参入を決めました。3年前から準備にかかり、知人のハウスを借りてアボカド等果樹のポット栽培を始めました。
アボカド [どのように栽培していますか]
アボカドは摂氏4度以下になると枯れてしまうため、ビニールハウス内に、電熱線と投光器、ストーブを準備しました。また、1種類だと受粉が上手くいかず結実しないため、ピンカートン、ベーコン等、6種類のアボカドを栽培しています。  受粉は、現在は手作業で行っています。去年はハウス内の温度管理が上手くいかず、何本か枯らしてしまいました。
[ビニールハウスの建設を今の場所に決めた理由は]
農業経験もないため、農地取得は本当に大変でしたが、知り合いの農地利用最適化推進委員へ相談をしたところ、一緒に探してくれることになりました。塩見、富高、財光寺を中心に10件以上農地の交渉を行い、最終的に交通の便や日当たりが良く、自宅から近い農地に決めました。今考えると、一人で農地を探すのは難しかったと思います。
[今後の展望は]
現在、新たに取得した農地にビニールハウスを建設中で、完成後は100本程定植をします。目標は、年間2000個以上のアボカドを収穫することです。
品種にもよりますが、収穫時期は9月から1月末までで、大きさはマンゴーのL玉ぐらいです。
大切な方への贈り物として手に取っていただけるよう、丁寧に栽培することを心がけています。なので、ふるさと納税やインターネット販売を中心に、贈答用の国産アボカドとして販売していきたいと思っています。


令和4(2022)年2月15日

多肉植物で全国へ!

高橋さん 異業種から新規就農した髙橋友美さん(40歳)が、SNSを中心に販売する多肉植物は、販売開始30分で完売することもあるという。
 もともと植物が好きで、多肉植物の栽培を始めた頃は失敗する事もあり、ネット検索で知り合ったブロガー達から栽培方法を教えてもらうと、ポットの数がたちまち増えていった。
多肉植物 看護師として勤務していた病院を辞め、多肉植物の栽培に専念し規模拡大しようとするも、農業経験もない上に農業者とのつながりがないため、ビニールハウスを建設する農地を探せず困っていた。通りを行く人に聞いて回ってみては、とアドバイスを受け、百人でも声をかけるという意気込と行動力には驚かされる。最初に声をかけた人が農地所有者で、自分の農地で良ければ、と貸してくれることになった。「私は運が良かったんですよ」と笑顔で話しており、その後は資金の借入れも順調に進み、昨年4月に正式に農業者として第一歩を歩み始めた。
 「水をやる時はポット一つ一つに気を遣い、大事に育てているため、最後まで手をかけられる直接販売しかしません。SNSを中心に全国に販売していきたいですね。」と抱負を語る。行動力溢れる髙橋さんの今後に地域からの期待も大きい。

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