広報ひゅうが平成28(2016)年9月号
東郷町仁呂山鶏徳寺*

東郷町仁呂山鶏徳寺
今回は東郷町鶴野内の仁呂山鶏徳寺を紹介します。
鶏徳寺は、尾鈴山の別名である「仁呂山(新納山)」がお寺の称号になっている古いお寺です。道の駅「とうごう」から国道327号線を400メートルほど美郷町西郷区方面に行ったところにあります。国道から参道を奥へ進むと大正4(1915)年に建てられた石柱の門があり、石階段を数段上ると境内です。
周辺には樹木が生い茂り、閑静な寺院の雰囲気がただよいます。
言い伝えによれば、鎌倉時代末頃に常山(じょうざん)という目の見えない僧が尾鈴大権現という神々を尊敬して住みつき、坪谷の山に家を構えたのが始まりとされています。
優れた才能と知恵があり、細かいことにこだわらない大らかな心があった常山は盲僧行の修行をしながら、密教(インドの仏教)の修行にも熟練していました。そして、次第にその力にすがる人が増えていき、寺を建てるに至ったと言われています。
東郷町の冠嶽から西林山(せいりんざん)を経た尾鈴山の山中は、修行をする者たちの修行の場であり、信仰が盛んな土地柄でもあったと言われています。
転機を迎えるのが、13代の山城坊(やましろぼう)という住職の時です。戦国時代となる天正6(1578)年の「耳川の戦い」の戦火によって鶏徳寺は焼失し、山城坊は東郷町田野区稲葉野に一時避難します。その後、天正10(1582)年に鶴野内の現在地に鶏徳寺が復興され、昭和34(1959)年に30代目の住職が亡くなるまで、仏前に火を灯すことは続けられました。