広報ひゅうが平成26(2014)年2月号
亀崎貝塚跡*

亀崎貝塚の跡
「日向市史」の姉妹本である「日向市の年表」(平成22(2010)年)は、本市の歴史を楽しむための入門書で、読みやすく理解しやすいと評判です。
試しに昭和55(1980)年の出来事を調べてみると、1月1日に「市内で初の貝塚が亀崎の区画整理事業工事現場で発見」と書かれています。これは、亀崎地区にある県工業用水道亀崎配水池付近から発見されたもので、主な出土品としては二枚貝や巻貝の殻とともに奈良・平安時代の土器の破片が確認されています。
貝塚と言うと、縄文時代を「貝塚時代」と呼んでいたこともあり一般的には縄文時代のものと考えがちですが、現在の考古学では、縄文時代から平安時代までの間に作られたものを「貝塚」と定義しています。亀崎の貝塚は奈良・平安時代の新しい時期のものです。
さて、ここで県内の貝塚の分布や立地についてみると、延岡市の大貫や沖田、それに宮崎市の跡江はどれも縄文時代から弥生時代のもので、標高は10メートルから20メートルほどのところにあります。一方、亀崎の場合も貝塚周辺の標高は約20メートルほど。他市の例と大差はありません。
ただ、亀崎貝塚の場合は、他の貝塚に比べると時期が新しいことが気になります。本市では標高20メートルの地点でも、奈良時代に入るまでは安心して暮らせる状況になかった可能性があります。もっとも、それが単なる自然環境によるものなのか、それとも大津波などの記憶や伝承から沿岸部に住むことを避けたためなのか、研究しなければならない課題がたくさんあります。亀崎貝塚は、そうした示唆に富んだ遺跡なのです。