広報ひゅうが平成19(2007)年3月号
五輪塔と板碑

日知屋城の五輪塔
日知屋城跡の登り口付近には、たくさんの石塔が集められています。中でも目を引くのが伊東祐国と祐邑の供養塔です。
これらは、本善寺の境内にあったものを昭和45年に伊東氏ゆかりの日知屋城跡に移してきたものです。また、その周辺には二つのタイプの石塔が並べられていますが、手前の列に並べられているものを「五輪塔」、奥の方に並べられているものを「板碑」と呼んでいます。
五輪塔と板碑は、鎌倉時代から江戸時代にかけて流行した石塔で、五輪塔はおもに墓石として利用され、板碑は供養塔として使われていました。
これらの石塔群は、長い間風雨にさらされていたため、いつだれが、何の目的で造立したのか明らかにされていませんが、形態の特徴から戦国時代末期に造られたものと思われます。
一方、江良町2丁目の江良児童公園から東へ100メートルほど行ったところにある通称「ソガの森」には、2基の大きな五輪塔が残っています。
これらは、鎌倉時代に工藤祐経を討ったことで知られる曽我兄弟の墓であるとか、伊東祐邑の供養塔ではないかともいわれていますが造立年代や目的などがまったく刻まれていないため、はっきりしたことはわかっていません。
ただ五輪塔の中でも古いタイプに属することから、だいたい鎌倉時代から室町時代ごろにつくられたものとみられています。