広報ひゅうが平成25(2013)年5月号
文化財から防災を考える3-台風や大波被害の歴史*

美々津海岸線
東日本大震災の被災地、宮城県と宮崎県の海岸線は形状がよく似ていると言われています。たしかに日本地図を見ても弓なりに湾曲した宮城県の中央低地帯と呼ばれる海岸線と、リアス式で知られる三陸海岸へ続く男鹿半島以北の様子は非常によく似ていることがよくわかります。
宮城県周辺では明治時代以降だけでもマグニチュード7以上の地震が13回も起き、津波被害も発生しています。繰り返し押し寄せる津波が現在の海岸線をつくった大きな要因であることは間違いありません。
さて、本県も地震や津波に何度か襲われたことが知られていますが、数の上では夏から秋にかけての大雨や台風による災害のほうが圧倒的に多いようです。
特に台風は大雨、大風に加え、洪水や大波を引き起こします。県内では明治時代以降、毎年、各地でこうした災害が発生しています。災害は何も地震や津波だけではないのです。
たとえば高鍋藩の記録を読むと、ほぼ毎年、5月から10月にかけて台風が原因とみられる大波によって、本市が大きな被害を受けていたことがわかります。
やがて本市は明治13(1880)年から同38(1905)年にかけて、5回も大波の被害をうけ、特に美々津では多くの家屋が流出し、多数の被災者を出しました。これに対し、県や美々津町は被災者への生活支援や仮設住宅の建設、それに防波堤の設置など、各種の防災事業を実施しています。
私たちは豊かで美しい自然に囲まれて暮らしていますが、それは同時にいつ牙をむくかもしれない災害と隣り合わせに暮らしているということを忘れてはなりません。日ごろの心構えが必要です。