広報ひゅうが平成25(2013)年2月号

鶴野内の西城跡


春は桜の花が咲き乱れる「西城公園」


 東郷町鶴野内地区にある西城公園は平成7(1995)年に整備されたもので、その名からわかるように中世の城跡(西城)を利用しています。
 西城は戦国時代に都於郡城(西都市)を拠点にして宮崎平野の大半を征圧していた伊東氏の持城の一つである「山陰城」の西にあることからその名が付いたと考えられています。
 地理的には耳川と坪谷川の合流地点に位置し、椎葉往還を押さえる重要な場にあたり、戦略的に極めて重要な城であったことがわかります。
 城の地形は数本の迫田(小谷)に分断された小高い丘陵を利用しており、建物や防御施設があったとみられる曲輪群は大きくは3つに分けられます。
 このような構成を示す城は南九州に多いと言われていますが、県内に限れば小丸川以北の地域では他に見ることができない貴重なものです。
 ところで西城が築城された年代や築城に関わった人物などは詳しい文献がないため明らかにされていませんが、3つの曲輪群にはそれぞれ中心となる主郭(本丸)が置かれていた可能性があります。
 伊東氏の家臣団の中には「入郷衆」と呼ばれる耳川流域で勢力を誇った武将たちがいたことが知られています。
 西城はこうした人たちが、例えば薩摩の島津氏や豊後の大友氏、さらには九州征圧を狙う豊臣秀吉など強大な敵の襲来に備え、共同してこしらえた戦国時代の「地域連合」を示す城の可能性があります。
 市内には西城の他にもたくさんの城跡が残されています。これから3月頃まではそうした文化財を見学するのに絶好の季節です。冬から春へ、季節の移り変わりを肌で感じながら、城跡巡りなどをして過ごす休日も悪くないでしょう。

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