広報ひゅうが平成25(2013)年1月号

耳川の渡舟場跡*


発掘された渡舟場跡


 耳川河口部の幸脇と美々津地区では県による水防事業が実施れています。主な事業は、コンクリートなどで築造した特殊堤とよばれる堤防の設置工事で、これまでに立縫区側のおよそ半分で施工されています。
 耳川は古くから、豊かな上流地域の林産物を美々津港に集積する役割を担い、高瀬舟や筏が利用されていました。
 さらに旧豊後街道の一部として幸脇と美々津を結ぶ渡し舟が往復し、人馬や貨物、また昭和期に入ってからは大型バスも運ぶなど、カーフェリーうな役割も担っていました。
 昨年、美々津側にある「日本海軍発祥之地」の石碑と立磐神社の間あたりから当時の様子を物語る遺構が発見されました。
 それは、かつて使用されていた舟着き場(渡舟場(とせんば))の跡で、30センチメートル程度の河原石を利用した、ゆるい勾配をつけた「石敷遺構」と呼ばれるもので、石と石の間には建築材料のモルタルが詰めてありました。
 この場所が使われていたはっきりとした時代はまだわかっていませんが、現在の美々津大橋は昭和42(1967)年に開通していますので、それ以降はほとんど使われなくなったものと考えられます。
じつはこの遺構は、来年度(平成25年度)以降に実施される予定の特殊堤の工事に先立つ事前調査の際に発見されたもので、写真撮影などの調査を行った後に埋め戻されています。
 その時調査を見学した地元の人たちから関係者に対して、昔を懐かしむ声や当時の思い出話などがたくさん寄せられました。
 耳川の上流域にも数多くの渡舟場があり、その跡に「耳川文化の会」の皆さんが記念碑を建立しています。小春日和の一日、それらを訪ねてまわってみてはいかがでしょうか。

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