広報ひゅうが平成24(2012)年12月号
記紀と民間伝承*

田ノ原の石神山にある巨石群
今年(2012年)は古事記編さん1300年を記念して、県内各地でさまざまなイベントが開かれました。本市でも「神武東征」をテーマに講演会やミニツアー、そして美々津伝統の「おきよ祭り」も盛大に行われました。
さて、前号でも書きましたが、東郷町福瀬神社の記録によれば、本市の内陸部を景行天皇とヤマトタケルノミコトが親子二代にわたり熊襲征圧のために通られ、出口地区の稲荷神社には神秘的な「岩金様」の巨石群が所在しています。
その後、景行天皇は東郷地区の福瀬、広瀬、日田尾、そして美々津地区の田ノ原では石神山に登り、周囲を眺望された後に都農神社方面へ向われたと伝えられています。
実は、幕末の富高陣屋の記録には意外なことが書かれています。それによると、神代のころに高天が原から高千穂峰に降臨されたニニギノミコトが日知屋の櫛ノ山から「頓丘(ひたお)」を通り、尾鈴山の麓まで出られたことがわかります。そう、福瀬地区の「日田尾」は、その神話に因む地名なのです。
しかも「頓丘」のことは、「古事記」の編さんから8年後の養老4(720)年に編集された最古の勅撰の歴史書「日本書紀」に、天から降りてきたばかりのニニギノミコトが通られた場所として記されています。
宮崎県は「神話の国」と言われ、全国的にも古墳の多いところですが、各地に古事記や日本書紀に関する神話伝説も残されています。
私たちが暮らす日向市は、海岸部に神武東征の伝説があり、内陸部には景行天皇とヤマトタケルノミコトの伝説が残されています。
歴史に彩りを添えるそうした神話伝承に触れることができるのは、私たちの特権かも知れません。