広報ひゅうが平成24(2012)年11月号

東郷町福瀬「出口稲荷」*


出口のお稲荷様の巨石群


 日本史では「古事記」と「日本書紀」を合わせて「記紀」と呼んでいます。「古事記」は、もともと文字によらない伝説や昔話をまとめたもので、「日本書紀」はそれを補うために作られたものと考えられています。 さて、「記紀」によると、神武天皇から数えて12代目にあたる景行天皇は、朝廷に従わない熊襲を服従させるために九州へ遠征して来たことになっています。
 ところが、東郷町の福瀬神社に伝わる記録を見ると、天皇は重岡(豊後大野市)を経て、延岡、土々呂から本市の塩見地区を通り、福瀬区の出口まで来て休憩されたと書かれています。
 また、その後、天皇は宮ヶ原、広瀬、日田尾を通って美々津の石神山へ登り、さらにそこから都農神社へ向われたことも書かれています。中央で編さんされた「記紀」の内容を、地方の神社の記録が補っているわけです。
 ところで、天皇が休憩された場所としては、出口に鎮座するお稲荷様の山が最も有力な候補地で、じつは当地には県内でも屈指の巨石群が所在しています。これまでこのコーナーでは神武天皇の東征にまつわる市内各地の巨石を紹介してきましたが、景行天皇の由緒地にも巨石が存在しているのです。
 出口のお稲荷様の巨石群は「岩金様(いわがね)」と呼ばれ、境内から裏山の南西斜面に分布しており、圧倒的な迫力を持っている半面、女性を表す人工的な石組も確認されています。
 また、これらの巨石や石組が冠岳の方角を向いていることにも注意が必要です。冠岳は、かつて修験者の道場であったことが知られています。出口のお稲荷様の巨石群も修験者や、修験者が関わっていたとされる治山、治水、鉱山採掘などと関連する歴史の記念物なのかも知れません。

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