広報ひゅうが平成24(2012)年10月号

細島「御鉾神社」


御鉾神社のドルメン


 幸脇から北に向って航海していた神武天皇たちは、ほどなく日向岬に差しかかりました。すると、漁師が大急ぎで港へ帰ろうとしています。神武天皇が何事か尋ねたところ、毎日、大きな魚がやってきて暴れるから恐ろしいとのことでした。
 そこで天皇は、持っていた鉾を近くの鳥辺に埋納し、以後、これを「三鉾神」として祭るよう漁師に伝えました。この「鉾を埋めた島」、つまり「鉾島」が、後に「細島」に変わったと伝えられています。
 この話は慶長5(1600)年の記録にある細島の地名伝説で、御鉾神社の裏には、巨石記念物の一つであるドルメン(支石墓(しせきぼ))が残されています。
 御鉾神社のドルメンは、大正14(1925)年に当地を訪れた人類学者の鳥居龍蔵が調査しており、ふつうドルメンと言えば古代人の墓であるが、当地のドルメンは珍しいタイプの遺構であると報告しています。
 ところで、御鉾神社のすぐ近くに鎮座する鉾島神社の境内にもメンヒルと呼ばれる巨石記念物があることはあまり知られていません。メンヒルは、何かの目印や記念碑、それに墓標として建てられることが多いのですが、鉾島神社の場合は、先ほど紹介した御鉾神社とドルメンを見下ろす場所に建っています。
 そこで、改めて考えてみると神武天皇は「三鉾神」を祭るよう言い残しています。これは、もしかすると3本の鉾に埋めたことを意味していて、そのうちの2本が御鉾神社と鉾島神社にあることを暗示しているのかも知れません。
 こうなると、残る1本の鉾を納めた場所が気になります。皆さんも一緒に、この謎を解いてみませんか?

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