広報ひゅうが平成24(2012)年8月号
美々津「立磐神社」

立磐神社の盤座(いわくら)
美々津とはたが言ひそめし旅衣 君着て縫うや立縫の里
この歌は、鹿児島に生まれ、明治5(1872)年から宮内庁の歌道御用係を務めた八田知紀(はったとものり)が詠んだ歌です。
「古事記」によれば、神武天皇は、兄の五瀬命(イツセノミコト)らと相談し、日本を治めるため東方(大和)へ行くことを決意し、舟軍(せんぐん)を率いて日向を出発。各地の従わざる者、荒ぶる神たちを服従させ、畝傍山(うねびやま)の東南の橿原宮(かしはらのみや・奈良県)で、初代天皇として即位しています。
その間、天皇が立ち寄ったり、逗留された場所については、各地にさまざまな伝説が残されています。
ところが天皇が出発されたと伝えられる場所は美々津以外にありません。
先ほどの歌は、お舟出を決意された天皇がご多忙を極められ、衣の綻びでさえもお立ちになられたまま縫われたという美々津町の立縫(たちぬい)区の地名の由来に関する伝説が元になっています。
さて、耳川河口の立縫には立磐神社があります。ここは神武天皇がお舟出をされる前に、武運長久と航海安全を祈願されたと伝えられる由緒ある所でで、現在の社殿は明治時代の建築です。
市道に面した鳥居を潜り境内に入ると向って右側に神武天皇の腰掛岩があり、厳かな雰囲気を漂わせています。
そこから参道をさらに進むと2つ目の鳥居があり、社殿が見えてきます。じつは、最近の調査で、このあたりにせり出している大きな岩が古代の祭祀施設の一種、「磐座(いわくら)」であることがわかりました。
詳しいことは、今後の調査を待たなければなりませんが、立磐神社の歴史は私たちの想像以上に古く、お舟出伝説とともに日向を代表する旧跡の一つであることはまちがいありません。