広報ひゅうが平成24(2012)年7月号
天孫降臨と櫛ノ山*

櫛ノ山にあるストーンサークル
今年(平成24(2012)年)は日本最古の歴史書と言われる「古事記」が編さんされてから1300年目にあたり、県内各地でもさまざまな事業が実施されています。歴史探訪のコーナーでも、しばらくの間、「古事記」にゆかりのある市内の名所や旧跡などを紹介していきたいと思います。
「古事記」は天地創造に関する神話から推古天皇の代(554〜628)までの出来事が書かれています。本市はカムヤマトイワレヒコノミコト(後の神武天皇)が大和に向けてお舟出をされた美々津をはじめ、たくさんの伝説の地があります。
神代のころ、高天原(天上界)を治めていたアマテラスオオミカミ(天照大神)の孫のニニギノミコトが、初めて地上の「筑紫の日向の高千穂の久士布流多気(くしふるたけ)」に天降りました。
これを「天孫降臨」と言いますが、安政5(1858)年に天領富高陣屋の役人がまとめた記録には、降臨したニニギノミコトが日知屋の櫛ノ山へ登り、当地の「大盤磐」と言う所から下界を眺望したと書かれています。
このことから、少なくとも幕末の日向には、そうした伝説があったことがわかります。また、櫛ノ山には大盤磐を連想させる巨石のストーンサークルが残されています。
ところで気づいた人も多いと思いますが、天孫降臨の場所である「久士布流多気」と櫛ノ山は、同じ「くし」のつく地名です。そして、延岡市土々呂にも「櫛津(くしつ)」と言う所があり、ここもニニギノミコトが初めて海を眺めた所だと伝えられています。
櫛は古代人にとって神聖な道具だったとも言われています。
神話伝説の中には、偶然とは割り切れない歴史の謎が秘められているのかも知れません。