広報ひゅうが平成22(2011)年3月号
美々津にある猿田彦の石碑

庚申信仰のシンボル「猿田彦大神」の石碑
市の中心部から国道10号を南下して美々津大橋を渡ると、左側に美々津支所が併設されている美々津公民館が見えてきます。
ここの敷地は、明治4(1871)年11月から翌年の8月まで美々津県庁が置かれていたところとして知られていますが、江戸時代には高鍋藩の仮屋が建てられ、藩主・秋月氏が参勤交代の際に宿舎として利用していました。
秋月氏は、初代種長(たねなが)から種股(たねとみ)の代まで藩主を勤めましたが、その間、政治上の大事件や跡目争いなどで大きなトラブルを起こしたことはありません。当時、幕府が調査した藩のランク付けでも高鍋藩は「善政」の及第点をもらっています。
ところで、皆さんは美々津の多賀神社の南入口付近に、柱状岩を利用した石碑があるのを存じでしょうか。
石碑の正面には「猿田彦大神」と彫ってあります。猿田彦は、当時、庶民の間で流行した庚申信仰のシンボルで、この石碑も庶民の手で建立されたものと考えられます。
実はこの石碑の文字を書いたのは秋月種樹(たねたつ)という人で、先に紹介した種股の弟にあたります。種樹は、幕末に活躍した文人で、幕府の学問所奉行や明治天皇の侍読(教育係)を歴任し、後に高鍋へ帰って悠々自適の生活を送りました。書や詩文をたしなむ風流人としても知られ、美々津にもいく度となく足を運んでいます。
このため、美々津には種樹の書や墨絵なとが数多く残っていますが、種樹の書跡をもとに作られた猿田彦の石碑はほかに例がなく、県内でもおそらく唯一のものといわれています。