広報ひゅうが平成22(2011)年1月号

塩見にある「権現原砦」


自然地形を利用した「権現原砦」


 市の平野部の大半は、奈良から平安時代にかけて、全国4万4千社と言われる八幡宮の総本宮である現・大分県宇佐市の宇佐八幡宮が開拓したと考えられています。
 塩見地区も例外ではなく塩見川流域の湿地帯に目をつけた宇佐八幡宮が開いたと言われていて、鎌倉時代の始めごろには、30ヘクタールほどの水田が耕作されていたようです。
 当時の塩見地区は土持氏が管理していましたが、その拠点となったのは今も残る塩見城で、ほかにもいくつかの城や砦などが築かれていました。
 ところで、県立日向高等学校の北に広がる水田の中にポツンと小さな丘があります。昔からここは、子どもたちが茶碗山と呼び、古墳ではないかと噂されるところです。
 結論から先に言うと、この丘は自然地形を利用した一種の砦の跡です。
 確かに円墳のようにも見えますが、頂上には熊野神社が祭られていて、よく見れば自然地形であることがわかります。さらに頂上に登ってよく見てみると、いたるところに不自然な盛土や、削り取られて平らにされたところなどがあります。盛土は防御のためにつくられたもので、平らに削られた場所は見張り小屋などの建物があった跡と考えられています。また、周辺の地形を見てみると、前述のとおり、丘のまわりは水田地帯で近くに塩見川が流れています。
 こうした条件をもつ館や砦の例としては、となりの門川町城屋敷に残る門川城跡があり、県内でも古いタイプの城跡と考えられています。この場所も、極めて古い時代の砦跡ではないかと考ることができるでしょう。
 ただ、こうした可能性をもつ遺跡であるだけに、これからも慎重に調査・研究を進めていきたいものです。

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