広報ひゅうが平成22(2010)年9月号
江戸時代末期の「譲渡証文」

江戸時代末期の「譲渡証文」
県の教育委員会が昭和50(1975)年に行った古文書所在確認調査では、市内から100点あまりの古文書が発見されています。
この中で最も古いのは、本山定善寺に伝わる日蓮聖人の古文書で鎌倉時代に書かれたものと言われています。ほかの古文書は比較的新しく、江戸時代に書かれたものが多いようです。
ここに紹介する譲渡証文も、文久2(1862)年に書かれた江戸時代末期の古文書で、現在、美々津の歴史民俗資館に収蔵されています。
内容は、富高新町の荒物屋治郎右衛門が細島の米屋武吉に1町6反歩の新田を120両で売却したことを示しているもので、酒井屋治郎兵衛と川嶋屋正三郎の2人が保証人に名を連ねています。
また、売買の対象になった新田が坪谷村(東郷町坪谷)にあったことから、同村の庄屋であった富山佐太郎の署名と捺印も見ることができます。
このような証文類には、私的な内容のものが多いことから、文化財としての価値は低く見られがちですが、くわしく調べていけば当時の社会や経済情勢を知ることができます。
ちなみに歴史や文化財を調べている人たちの間では、明治10(1877)年に起きた西南戦争を境にして、それ以前に書かれた公的、私的な文書や手紙、それに日記などを「古文書」と呼び、それ以後に書かれたものを「文書」と呼ぶのが通例になっています。
また、「史料」と「資料」も同じように使い分けることになっています。
これから歴史の本や文化財の解説文などを読むときには、その点にも注意を払って読んでみるとおもしろいかもしれません。