広報ひゅうが平成22(2010)年5月号

日知屋山手町「本善寺」伊東祐邑の供養塔


日知屋山手町「本善寺」供養塔


 櫛の山、北のふもとにある本善寺(日知屋山手町)は、日叡上人が開山したと伝えられる寺院で、敷地の一画に古びた題目板碑が建っています。この板碑の中央には「南無妙法蓮華経」の題目が刻まれていて、その両側に「十方仏土中、唯有一乗法」の偈文(げもん)が刻まれています。
 偈文とは、仏や菩薩を讃美し、供養するために唱えることばで、その下に「為伊東祐邑御戒名、六親眷属七世父母、平等正覚乃至法界、享禄四年辛卯八月廿五日」――と刻まれていて、伊東祐邑(すけむら)を供養するために享禄4(1531)年に建てられたものと考えられています。
 伊東祐邑は、伊東家12代の祐国の弟で、祐国の死後、本家から謀反の疑いをかけられ、日知屋城で刺客に殺されてしまいました。その後、伊東家の領地では、疫病や災害が相次いだことから、これらの災いは祐邑の怨霊の祟りではないかといわれるようになり、怨霊を鎮めるため各地に祐邑の供養塔が建てられました。
 そのひとつに、伊東家の拠点として栄えた都於郡(現・西都市)にある一乗院には「伊東二郎(祐邑)」と刻む宝塔があります。また、宮崎市郡司分字国富には天文5(1536)年に祐邑の神霊を祭るために建てられた加護神社があります。しかし残念なことに一乗院の宝塔は保存状態があまり良くなく、また加護神社も昭和63年1月27日の火災で焼失しています。
 市内では、本善寺のほかに細島にある鉾島神社の境内でも祐邑の供養塔(板碑)が見つかっています。
 これらの板碑は、銘文の文字から見て、いずれも庶民が建てたものと考えられることから、石造美術品としての価値はもちろん、郷土史や庶民信仰の面からも注目に値するものです。

板碑の碑文

南無妙法蓮華経
為伊東祐邑御戒名、
六親眷属七世父母、
平等正覚乃至法界、
享禄四年
辛卯八月廿五日

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