広報ひゅうが平成22(2010)年4月号
美々津の「落鹿遺跡」*

美々津の「落鹿遺跡」
美々津町の百町原台地に位置する「落鹿遺跡」は、昭和50年に実施した分布調査で、縄文から弥生時代にかけての遺物が数多く見つかりました。その後、百町原台地では、ほ場整備事業が行われることになったため、市の教育委員会が中心となって、昭和50年度から366年度にかけて埋蔵文化財の発掘調査を実施しました。
このうち落鹿遺跡では、工事の対象地に2か所の調査区(A・B区)を設定し、表面から1メートルほどの深さまで掘り下げて、A区では石を組んでつくった縄文時代早期の炉跡が5基ほど見つかっていて、B区では一辺が5Mの4角形をした竪穴住居跡が見つかりました。A区の炉跡の周辺からは、9千年前の土器や石器が出土していて、縄文時代早期の集落跡と推定されます。
しかし、はっきりした住居跡などが発見されていないので、狩猟などの際に一時的に利用された、いわば「原始時代のキャンプ場」の跡と考えたほうがいいでしょう。
一方、B区の竪穴住居跡からは、約2千年前の弥生土器が数多く出土し、なかでも2号住居跡と名付けられた竪穴の中からは、東九州独特の「大津式」と呼ばれる壺や器などが出土しています。大津式土器は、県内でも数点しか出土されていない、たいへん貴重なもので、しかも落鹿遺跡のものは粘土の成分や焼き方の特徴から、福岡県か大分県で作られたものが、当遺跡に持ち込まれた可能性が高いと考えられています。
このように落鹿遺跡の発掘調査は大きな成果を収めましたが、周辺には、まだ多くの住居跡や遺物が眠っているものと考えられています。
今後も開発事業と調整を図りつつ、大切に保存したいものです。