広報ひゅうが平成21(2009)年12月号
美々津立縫の立磐神社と氏子札*

もめん屋で発見された「氏子札」
美々津町立縫区にある立磐神社には、海上安全を祈願する人びとや観光客が訪れています。
立磐神社の最盛期は、戦国時代といわれていて、伊東氏や島津氏などの大名が厚い信仰を寄せていましたが、天正6(1578)年に侵入してきた豊後の大友宗麟によって社殿や宝物などが焼き払われてしまいました。
その後、元和9(1632)年に再興されて、以前のにぎわいを取り戻すことができましたが、その背景には高鍋藩主秋月氏の保護施策と廻船業で栄えた美々津商人たちの厚い信仰があったようです。
高鍋藩の記録には、秋月氏が立磐神社に米を寄進したことや社殿の修理に臨時の普請奉行を任命したことが書かれていて、美々津の大工たちが藩の命令で立磐神社の普請に総動員されたことなども記されています。一方、美々津の商人たちは、商売繁盛に欠かせない千石船の安全航海を立磐神社に祈りました。下の写真は、美々津の上町に店を構えていた「もめん屋」で発見された立磐神社の氏子札で、現在は市の歴史民俗資料館に展示されています。
氏子札は、新生児が初めて宮参りをするときに交付される一種の証明書です。これを受けたときからその子は神社の氏子となり、例祭や大祭に参加する資格が与えられました。
氏子札は縦9センチ×横6センチほどの薄い木製の札で、表に札を受けた人の名前、生年月日(安政二年 = 1855年)などが記されています。発見された札は、まったく汚れていないことから、大切に取り扱われていたことが伺えます。
ほんの小さな木札ですが、その中には、当時の人びとの祈りや願いが秘められている貴重な資料といえるでしょう。