広報ひゅうが平成21(2009)年9月号

東郷町仲深須賀神社の亀ノ井堰


東郷町仲深須賀神社の亀ノ井堰の碑


 のどかな農村風景が印象的な、東郷町坪谷・仲深地区。
 この地域には、水を引いたり流量を調節したりするための、井堰と呼ばれる水路が引かれています。
素戔鳴尊(スサノオノミコト)と水波女命(ミズハノメミコト)を祭神とする仲深にある須賀神社。鎮守の森の中には、井堰の完成を記念した碑がひっそりとたたずみ、まるで豊かに育つ作物を見守っているかのようです。
 坪谷川南岸にある下水流地区と深谷地区は、かつて下三ヶ村と呼ばれ、江戸時代には坪谷村と同じく天領に属していました。当時、飲み水や田畑の用水が不足し、人々が大変困り苦しんでいたことが碑に刻まれています。
 嘉永元(1848)年、坪谷村・下三ヶ村兼帯庄屋の富山佐太郎を代表とする百姓らは、富高陣屋の真壁忠平の指導のもと、井堰の整備に着手。坪谷地区の市谷原水神淵から仲深地区深谷までのおよそ3キロメートルの間に、見事な水路を通すことに成功しました。完成までに2年もの歳月を要したといいます。
 水は井堰を流れ、丸太を加工した樋で谷をも越え、田畑の隅々にいたるまで潤いを与えることになりました。
 現在も、この井堰は改修などを繰り返しながら、利用されています。
 水口(みなくち)の水神淵には、その名の通り水神が祀られていて、毎年正月の水神講では、相撲が奉納される習わしも残っています。
 興味深いことに、水神淵の周辺では河童の目撃談などが、いくつも伝わっています。「ヒョイ、ヒョイ」と鳴く声、川で泳ぐ姿、田んぼの間を流れる水路を通って山へと行き来する姿など。
 これらの話は、河童が水神のみならず、春秋に里と山を行き来するという田の神・山の神の信仰にも結びつく、民俗学の世界観と一致しているといえるでしょう。

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