広報ひゅうが平成21(2009)年7月号
東郷町小野田地区「又江野遺跡」

埋甕(うめがめ)の炉
東郷幼稚園(平成31(2019)年3月閉園)が所在する東郷町小野田地区又江野周辺は、「又江野遺跡」として知られる埋蔵文化財包蔵地です。今月は、平成13年の農道整備に伴い実施した同遺跡の発掘調査の成果を紹介します。
又江野遺跡は、南向きの傾斜地にあり、目の前には冠岳の雄姿を仰ぎ耳川の流れも望むことができます。
調査では、縄文時代晩期から古墳時代の遺構が検出され、遺物も出土しています。縄文時代晩期では、突帯(とったい)や孔列(こうれつ)を持つ土器や丁寧に磨かれた磨研土器などが多く出土しています。これらは、坪谷川流域にある赤松遺跡、下水流(しもずる)遺跡、樋田遺跡でも出土していて、この時代における遺跡の広がりを示しているものといえるでしょう。
石器はさまざまな種類がみられます。まず、木々を伐採する斧的な磨製石斧や土を掘り起こす鋭的な打製石斧が多く、次いで敵石(たたきいし)や磨石すりいし(すりいし)が多いようです。遺跡が山や川に近いためか、狩猟具である石の矢鏃(やじり)や漁労具とされる石のおもりなどもみられました。
また、時代がやや下りますが、稲の穂積具である石包丁も1点出土していて、この土地の周辺で稲作が営まれていたことがわかります。
さらに古墳時代では、竪穴式住居跡が検出されています。一辺が5メートルほどの方形のもので、柱の痕が3本確認でき中央部には炉跡と考えられる甕が埋められ、内部には焼土や炭化物が残っていました。こうした埋甕(うめがめ)の炉は、宮崎では6世紀後半に見られるもので、こちらも鶴野内にある中水流(なかずる)遺跡や広瀬田遺跡で検出されています。
調査の成果は、郷土の歴史や文化を考察していく上で重要な情報です。皆さんが何気なく生活する足元にも、長い年月の歴史があり、多くの貴重な文化財が眠っていることでしょう。