広報ひゅうが平成21(2009)年4月号
細島地区「観音禅寺」の山門と観音堂

細島地区「観音禅寺」
細島地区は、古い歴史を持つ港稲町で、平安時代に書かれた潜文書や古典にも「日向国細嶋」の地名が記されています。
観音禅寺は、細島の旧道沿いにある曹洞宗の寺院で、室町時代の初めごろに圭堂和尚が開山したと伝えられています。旧道から観音禅寺へ行くには、急な石段を登らなければなりません。石段を登りつめたところに古い山門があり、振り向けば眼下に細島港や町並みを見下ろすことができます。
観音禅寺の山門は天保11(1840)年に建てられました。県内でも数少ない本格的な山門を改修したものです。
基礎の上に4本の円柱を置き、その上に小屋組を施した「四脚門」と呼ばれるタイプのものです。
山門をくぐり抜けて境内に入ると、正面に本堂があり、右側には太師堂や鐘楼、左側には観音堂があります。
なかでも「三間堂(さんげんどう)」と呼ばれるタイプの観音堂は山門と同じ天保11年に建てられていて、屋根や内部の扉、板戸以外は、昔のままの状態を保たれています。
ちなみに観音禅寺の山門は、豊後(大分県)・臼杵の坂本庄蔵という大工が建てたものです。
江戸時代、臼杵地方と細島の間に海路を利用した文化の交流があったことを裏付けていて、当時の歴史を知るうえで欠くことのできない貴重なものです。
一方、観音堂の建築に携わった大工を特定することはできていませんが、その建築様式や細部の技法などの特徴から、やはり豊後の大工が手がけたものと考えられています。
いずれにしても、観音禅寺の山門と観音堂が、日向市を代表する江戸時代の寺院建築であることには、まちがいありません。