広報ひゅうが平成21(2009)年2月号
塩見の水月寺の「六地蔵幢」

六地蔵幢
塩見地区にある水月寺の門前には、高さ2メートルほどの石碑があります。これは、「六地蔵幢」と呼ばれるもので、中世から近世に流行した供養塔の一種です。
一般的な六地蔵幢は下から基礎、幢身(とうしん)、中台、龕部(がんぶ)、笠、宝珠の順に積み上げられているものですが、残念ながら水月寺の六地蔵幢では宝珠の部分が無くなっているようです。
龕部には、6体の地蔵尊が彫られています。中台には蓮の花をモチーフにした文様(蓮弁(れんべん))も刻んでありますが、地蔵尊の中には顔の欠けているものが三体あり連弁も見えにくくなっています。
幢身を見ると、前後左右の四面に見たことのない文字が彫られています。これは古代インドの「梵字(ぼんじ)」という文字で、上の方から空・風・火・水・地の意味をもっています。
また、その右側には「喜屋妙歓大姉(きやみょうかんだいし)」の戒名が彫られていて、左側に「元亀三年七月十二日之立」と建てられた年号も彫ってあります。
この六地蔵幢は元亀3(1572)年に、妙歓という女性を供養するために建てられたものと考えられています。
しかし、どのような理由で誰の手によって建てられたのかは解っていません。ただ当時、妙歓はかなりの有力者か、またはその一族だったと見てまちがいないでしょう。
ちなみに建立された元亀3年は、日向国の大名伊東氏が、薩摩国の大名島津氏と木崎原(ちさきばる)(現=えびの市)で戦い大敗した年。当時の塩見地区は、右松四郎左衛門が支配していたようです。
この右松氏と妙歓を結びつけることは無理かも知れませんが、一度くわしく調べてみる価値はありそうです。
日向の女性史の一端が解明されるかも知れません。