広報ひゅうが平成20(2008)年5月号
美々津の橋口氏庭園

橋口氏庭園
古く美々津には、山の中をひたすら歩き修行をする山伏と呼ばれる修験者が住んでいました。
和歌山県那智大社に伝わる中世の古文書には、美々津に修験者の集団が住んでいたと記されています。
また、「島津家文書」に薩摩藩主・島津家久(1578〜1638年)が上洛した際に、美々津へ立ち寄り修験者の接待を受けた――とも記されています。
元禄2(1689)年の「美々津絵図」でも宝行院や宝持院、大泉院などの修験者とみられる人名が記されています。このように、美々津には古くから修験者が住んでいました。
美々津に多い「橋口」という姓の先祖も、その中の一派で天文年間(1532〜1554年)に美々津へ来て、愛宕大権現(今の愛宕神社)を創建し、その後、真言宗長福寺を開いたと伝えられています。
現在、長福寺の跡(美々津町新町)には、神道祖霊社が祭られていますが、敷地内には幕末に建てられた住宅があります。その古い建物と、切り立ったがけの間の狭い空間にある庭園は、名勝「橋口氏庭園」として昭和32(1957)年、県の文化財指定を受けています。
池、石組み、樹木が人為的に配置され、背後にそそり立つがけや自然林とみごとに調和しているのが、橋口氏庭園の最大の特徴で魅力です。
美しい日本の自然を表現しようとした、造園技術者の意図がうかがえます。
橋口氏庭園をだれが造ったのか――このことついては明らかにされていません。
しかし、長福寺の総本山である京都醍醐寺の庭園をまねているとも言われています。京都の技術者の手で造られたものかも知れません。
京都醍醐寺の庭園は、安土桃山時代に造られているので、橋口氏庭園はそれより後に造られたと考えていいでしょう。
日向市文化財でも紹介しています。ご覧ください。