広報ひゅうが平成19(2007)年12月号
越表の八ツ山遺跡*

花弁状間仕切り住居跡
東郷町越表地区には「金のトビの鳴声」という伝説があります。「八ツ山の川の畔にある小さい石碑に毎朝暗いうちに金のトビがどこからともなくやってきてきれいな声で鳴くといい、この鳴き声を聞いたものは大金持ちになる」という伝説です。
東郷町史によると、この八ツ山では昭和32(1957)年の新田開発の際に土師器や須恵器といった古墳時代の遺物が採集されており、土器の形から古墳時代後期(6世紀)ごろのものとされています。
さらに地主の人によると昔、方形の石囲いを見たとのことで、古墳に伴う箱式石棺一ではないかと想定され「八ツ山遺跡」は以前より遺跡の存在が予想されていた場所でした。
発掘調査では山からの水が流れたと思われる自然の流路跡が検出され、旧石器時代、縄文時代後期、弥生時代後期の遺構や遺物が出土しています。
旧石器時代の遺物ではナイフ形石器やスクレイパーといった狩猟に伴う石器が出土しています。
縄文時代後期では、瀬戸内系文化の影響を受けた磨消(すりけし)縄文と呼ばれる文様を持つ土器や丁寧に磨かれた磨研(まけん)土器が出土しました。
弥生時代では竪穴式住居跡が7軒検出されています。
うち1軒は、住居内に壁を突出させた花弁状(かべんじょう)間仕切り住居跡と呼ばれるもので、弥生時代後期の南九州に分布する独特な竪穴式住居です。
この住居跡からは多くの弥生土器に混じって鉄製の鉄が出土しています。
また、穂摘具とされる石包丁も調査とは別に2点採集されていることから、弥生時代には稲作が行われていたことがうかがえます。
鉄器や稲作の伝来は弥生時代を象徴する文化であり、八ツ山地区は山間の小さな集落ですが、時代の影響を受けてそれらを取り入れ、南九州の文化の花を咲かせていたようです。