広報ひゅうが令和6(2024)年3月号

明治政府軍艦と細島−西南戦争


細島崎台場に残る石垣


 明治10(1877)年2月15日、西郷隆盛は兵を率いて鹿児島を出発し、九州南部を戦場にした西南戦争が始まりました。
 開戦当初、熊本を主戦場に激しい戦闘が繰り返されますが、
物量に勝る明治政府軍を前に3月20日には田原坂を突破され、以降、西郷軍は各所で敗走を続けます
 熊本での戦いが続いていた3月1日、政府軍の軍艦「孟春」が水深測量等のため細島に入港します(3日下関に向け出港)。突然の軍艦の出現に細島や富高新町では家財や老人・子どもを守るため近くの村に疎開させる等騒然となります。
 さらに同月29日、軍艦「浅間」が水兵を上陸させ偵察を行い、また4月29日には「孟春」「浅間」が水兵を上陸させ、富高新町の大区事務扱所に入り区長らを尋問します。
 一方の西郷軍は5月6日、富高新町の守衛と細島方面の警備のため3個中隊を配備します。
 この後、西郷軍と政府軍の軍艦は数度の戦闘を行い、西郷軍は江戸時代末期に延岡藩や高鍋藩が築いた台場や自らが設営した台場を拠点に攻撃を行います。最初の戦闘は5月27日のことです。軍艦「清輝」が細島に入港したところ西郷軍が砲撃を行い、清輝も艦砲で応戦しています。さらに31日には「浅間」が細島の台場を砲撃しています。
7月20日にに政府軍の艦船「鳳翔」が西郷軍から砲撃を受けています。これが確認できる最後の政府軍艦船との交戦になります。
8月7日には政府軍は耳川を渡り、富高、細島を占領します。12日には細島運輸局が開設され、輸送船による補給が可能となり、さらに政府軍は優位に戦闘を進めていくことになりました。

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