広報ひゅうが令和5(2023)年4月号

尾崎三良の九州巡視−明治の法制官僚


 尾崎三良(京都出身)は、明治期に太政官大書記官、参事院議官、法制局長官など法制分野で活躍した人物です。また、幕末には尊皇攘夷派の公家・三条実美に仕え、西郷隆盛、坂本龍馬らとも交流がありました。
 参事院(法律・規則を制定・審査する機関)議官の職にあった明治18(1885)年、尾崎は地方状況の視察のため九州各県を巡視しました。
 鹿児島から宮崎に入り巡視を進めた尾崎は、5月18日朝6時に都農を出発し、美々津に入ります。美々津は船舶が往来し商売が盛んと日記に記す一方、港には土砂が溜まり、船舶の出入りが困難になっている状況も記しています。
 その後、耳川を船で幸脇へ渡りますが「川北ヨリ道路頓二険難、危岩突出、石磊凸凹、車行クベカラズ」と人力車では進めず、徒歩で悪路を進みます。また、日向灘の怒涛は山のようで、数百メートル離れても百雷が一時に鳴り響くような轟音で「顔ル奇観ナリ」と評しています。
 この難所を越え、9時30分過ぎに富高新町に到着しています。ここでは江戸時代は幕府領で他藩に比べて税は軽かったけれども、明治になると重くなり人々から耐えがたいとの声があることや、富高陣屋はすでに取り壊され、わずかに残った長屋が学校に代用されていると記しています。
 その後、県北部を巡視し、5月27日、細島に入ります。ここで漁師が税負担が重くなったと嘆いていることや、汽船の入港が頻繁なため速やかに電信を設置するよう勧めたと記しています。翌日、官軍墓地や砲台場跡など、細島町内を視察し、大分方面へ向かうため船で細島を後にしたのでした。

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