広報ひゅうが令和4(2022)年9月号
越表の電気記念碑

越表の電気記念碑
越表の中水流集会施設の前に「電氣記念碑」と刻まれた石碑があります。この地区に電気がもたらされたことを記念し建てられたものです。
日本では、明治11(1878)年、東京・虎ノ門工部大学校で初めて電灯の点灯に成功したとされます。その後、明治20(1887)年には、東京・茅場町に火力発電所が建設され供給体制も整備されていきます。
越表では、戦前に電力引込みが検討されたものの地形などの問題から実現せず、電気点灯が遅れます。ようやく昭和21(1946)年10月、電力引込みの議論が再燃し、田中利吉など地元の有志を中心に第二種自家用発電事業法による電気利用組合が結成されます。
翌年2月に動き出し、県電気部の技師を技術指導のために招へいしながら、昭和23(1948)年7月に電力引込みに着手します。しかし、戦後間もない頃で、資材も不足したため、田中利吉は県や日本発送電会社などと折衝を重ね、資材を確保します。せっしょう
同年9月15日、県電石河内第一発電所(木城町中之又)から引いた電力を分電し、越表、下渡川へと引き込む工事は総工費80万2620円をかけ完成します。石碑には「全区を挙げて明朗なる現代的陣容を見るに至れり」とあり、ようやく電気が使えるようになった喜びが伝わってきます。
すでに大正8(1919)年8月に電灯の灯っていた坪谷では、各家庭から一人ずつ神社に参拝したり、祝賀会も催されています。
当時、松明や石油ランプといった火を使った明かりから電灯に変わることは、住民生活に大きな変化をもたらした出来事であったことがわかります。