広報ひゅうが令和4(2022)年8月号

港につながる短い鉄道−国鉄細島線


細島駅構内と貯木場


 大正10(1921)年6月1日、高鍋・美々津間で鉄道が開通し、10月11日には美々津・富高(現日向市駅)間および細島軽便線(翌年11月、細島線に改称)が開通し、宮崎から細島港までが鉄道でつながりました。
 10月11日には富高小学校で開通式が行われ、杉山知事ら来賓600人が出席しています。式典後には、細島に移動して宴会も催されています。当時の宮崎新聞によると「群衆は全く鉄道開通気分に酔ふて居るかの様何れも歓喜に満ちて」おり、会場には刺身、酒、ビール等の各種模擬店も設けられ、待ち望んだ鉄道開通の喜びに沸く人々の熱気が伝わってきます。
 鉄道整備はその後も進み、翌年2月11日には、富高から南延岡間も開通しています(日豊線の全線開通は大正12(1923)年12月15日)。
 昭和30(1957)年2月、細島線に唯一の中間駅である伊勢ヶ浜駅が設置され、地域住民の利便性の向上も図られました。
 しかし、戦後の経済発展とともに各家庭に自動車が普及し、鉄道旅客数は減少していきます。こうした影響もあり、細島線は昭和47(1972)年1月23日に旅客営業休止、平成元(1989)年12月に貨物営業休止、平成5(1993)年12月には廃止され、全長3・6歳の短い鉄道は姿を消すことになります。
 廃線後は、道路などとして整備が進み、当時を物語るものの多くは姿を消していきました。しかし、わずかながら現在でも細島駅のホームや運河をまたぐ橋の橋脚等が残り、日知屋東小学校前には細島線跡案内の碑も建立されるなど、往時をしのぶことができます。

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