広報ひゅうが令和4(2022)年2月号

江戸時代の土地台帳田畑高割帳−田畑高割帳


田畑高割帳


 延宝7(1679)年、坪屋村米(藩に納める年貢)の石高を記載した「田畑高割帳」という古文書が残されています。
 当時、坪屋村は延岡藩領(藩主・有馬康純)に属していた時期で、延岡藩には土地の等級や地域的分散に有利・不利が出ないようにするため「十石鬮(じっこくくじ)」という土地制度がありました。
 十石鬮は、村の石高を10万ずつにくくり、鬮によって割換えられる土地制度のことです。この10石は年貢や夫役(土木工事など労働で納める税)を徴発する基礎的な単位だけではなく、家臣団への給地の単位でもありました。一定期間ごとに給地が割換えられるため、給地に対する家臣の支配権を制限することになりました。
 坪屋村の田畑高割帳には一番鬮から十六番鬮までが記載されています。それぞれの鬮は、総計面積がすべて1町6反で、田が9反、畑が6反台と均等にされていることがわかります。また、割換えとなる10石の内訳は、田畑の等級(上・中・下・下々、山畑など)が不均等にならないように平均化されています。
 同書の奥書には、坪屋村の高割について庄屋、百姓を集め、田畑の等級に高下がないように調整し、その他屋敷などは吟味の上で決定するとあります。年貢の負担は村人の生活に直結することであり、慎重に決定が行われたことがわかります。
 田畑高割帳のように300年以上前の史料が残されているのは、そこに大事に残そうと考えた人がいたからです。古文書には大切な地域の歴史が記録されています。木箱などに丁寧に納められている場合もあれば、横の内張りなどに再利用されて偶然残ったものもあります。ご家庭などで発見された場合は、処分せずにご一報ください。


日向市文化財でも紹介しています。ご覧ください。

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