広報ひゅうが令和2(2020)年12月号
美々津県庁跡

美々津公民館に建つ美々津県庁跡の碑
江戸時代、市域は延岡藩領、高鍋藩領、幕府領に分かれていました。幕府が倒れた後、版籍奉還、廃藩置県を経て、明治4(1871)年11月14日、美々津県が設置されました。県域は変更もありましたが、現宮崎県の大淀川以北です。同日、現在の宮崎県南部には都城県も設置されています。これは明治政府が旧藩の影響力を排除し、県の財政力を強化する方針のもと県の統廃合が行われたことによるものです。
県庁は美々津の旧高鍋藩御仮屋(現在の美々津公民館付近)に置かれ、初代参事(現在の県知事)に橋口兼三が任命されましたが、在任期間はわずか1か月で美々津への赴任はありませんでした。第2代の福山健偉は明治5(1872)年2月13日に美々津へ到着し、翌日から政務を執っています。
県庁の官員は、4日勤務し1日休みが基本的な執務ペースでした。少ない官員で広い県域をカバーするため事務に追われる日々だったようです。
当初、美々津に置かれた県庁は狭く、事務の取り扱いに混雑し、用水などの不便もあったことから、同年6月20日に富高に移転します。富高では仮県庁舎を経て、旧富高陣屋(現在の幸福神社付近)を修復し、県庁としています。
明治6(1873)年1月15日、美々津県と都城県が廃止され、宮崎県が設置されます。県庁は上別府村(現在の宮崎市)に置かれ、参事の福山健偉は宮崎県参事となり政務を執ることとなりました。
美々津県はわずか1年2か月で姿を消しましたが、関係文書は「日向市史史料編美々津県庁文書T」「同U」としてまとめられています。県庁跡や文献から近代の幕開けを感じてみてはいかがでしょうか。