広報ひゅうが令和2(2020)年8月号

「西南の役」史跡の調査


砲台場跡で採集した鉛製の弾丸


 明治10(1877)年2月の熊本城攻防戦にはじまる西南戦争は、九州中部から南部、東九州の各地で激しい戦闘が行われており、9月に鹿児島の城山で終戦を迎えるまで、多くの人が犠牲となっています。
 宮崎県埋蔵文化財センターでは、各市町村と協力し、今年度から3年間をかけて、県内に所在するこの西南戦争に関連する史跡調査を計画・実施しています。
 市内でも耳川流域を中心に塹壕(敵の弾から身を守るために掘られた穴)などの遺構が良好な状態で残っていることから、日向市教育委員会も合同で調査を行ったので、現在までの成果を簡単に紹介します。さんどう
 まず、耳川北岸の東郷町福瀬区鳥川の調査では、これまでに薩軍の塹壕を6基確認していましたが、今回新たに3基を発見しました。塹壕の土塁部分から官軍から撃ちこまれた弾丸が見つかったり、周辺の岩場では岩にあたって平たく潰れた弾丸を採集したりしています。
 次に、耳川南岸の美々津町鹿場では、官軍の塹壕や石積みを確認しました。こちらでは、使用された薬莢(やっきょう)(弾を発射する火薬を詰めた容器)が見つかっています。また、馬の蹄に装着する蹄鉄が発見されました。当時の軍馬のものかはまだ確認がとれていませんが、大きさは現在の一般的なものよりもかなり小さく、小柄であった当時の馬のものである可能性が高いと考えています。
 このように塹壕などの遺構に加えて当時のさまざまな遺物が発見されることによって、当時の戦闘の様子をより具体的に復元していくことが可能となります。地域の歴史を明らかにしていく重要な調査であるため、調査に際してはご迷惑をおかけしますが、ご理解とご協力をお願いします。

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