広報ひゅうが令和元(2019)年9月号
日向・門川の柱状節理B

日知屋城跡(船着き場)、美々津の坪庭、妙国寺庭園
中世〜天然の要塞〜
戦国時代には、節理の険しさを活かして領地を守る者が現れました。薩摩の島津氏や豊後の大友氏と共に名を馳せた日向の伊東氏は、三方を海と節理で囲まれた場所に「日知屋城」を築きました。
城のふもとや横堀には柱状節理が発達しており、節理を利用して敵の侵入を阻もうとしたことが分かります。特に、国内で3か所のみ確認されている「馬蹄型城郭」の1つとして知られており、柱状節理で支えられた馬蹄形の尾根に守られるように主郭を構えています。水運を把握できることに加え、柱状節理に囲まれた城は天然の要塞として安心のロケーションだったのです。
近世 〜「岩盤ヲ利用スルニ於テ特殊ノモノナリ」〜
次第に、柱状節理はその美しさに注目が集まるようになりました。「岩盤ヲ利用スルニ於テ特殊ノモノナリ」とは、江戸時代、興福山妙国寺の本堂横に造られた柱状節理の庭園を指した言葉です。右側には一般的な、垂直に切り立った節理が、左側には階段状に見せた節理が見られ、2つの間から山水が滝となって池に流れ込みます。周辺のマツやカエデなどと共に、四季を通じて人々の心を魅了してきました。
一方、神武天皇お舟出伝説が語り継がれる港町・美々津は、かつて「美々津千軒」と言われる程に繁栄を見せた地域です。ここでは、江戸時代から昭和初期にかけて建てられた町屋の家の基礎部分と坪庭に柱状節理が持ち込まれました。現在も据えられた当初と変わらぬ姿でそこに住む家族に愛でられ、客人をもてなしています。