広報ひゅうが平成30(2018)年10月号

聖跡座談会の記録


数々の伝説が残る港まち美々津


 昭和14(1939)年5月6日夜、美々津の県立海洋道場「拝光寮」(現、老人福祉センター)に池辺捨次美々津町長ほか2人の有識者が集まって、「聖跡(せいせき)座談会」が開かれました。
 冒頭、池辺町長は「御船出の聖地として、地元の伝説や史跡を十分顕彰し、隠れて滅びようとしている古いしきたり、風習などを調査するとともに紀元2600年記念事業の計画も進めたい」と挨拶しています。
 「紀元2600年記念事業」は日向から東遷された神武天皇が奈良県橿原宮(かしはらのみや)で初代天皇として即位されたことを祝うために計画されたものですが、この座談会では、神武天皇に関する伝説のほか、当時の美々津に残っていた古いしきたりや伝説、昔話なども取り上げられています。
 例えば、立磐神社の秋祭り(1月1日)には、還暦を迎えた女性たちが絹を織って天の神様に捧げる「おみすぎぬ」と呼ばれる風習がありました。
 「おみすぎぬ」は年に一度行われる神様の衣替えと同時に、美々津で暮らす人びとの腰の意味が込められていたようなのですが、残念ながら今では途絶えています。
 また、美々津港は耳川の上流から運ばれた土砂が溜まって、千石船や漁船が出入りできなくなることがあったそうで、そんな時には大阪から人形芝居の一座を招いて港近くの海岸で興行をしていたといいます。
 そして、一座が持って来た人形の中から一番美しい女性の姿をした人形を戴いて、耳川の河口から沖に流すと翌朝には河口に溜まっていた土砂が嘘のようになくなっていたと伝えられています。
 「聖跡座談会」は当時の大阪毎日新聞社が特集記事として掲載したもの、今後、調査・研究が進むに連れてこれまでとは違う美々津の姿が解明されるのではないかと期待されています。

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