広報ひゅうが平成30(2018)年10月号
日向岬と伊能忠敬

「日本図(西日本)」(文政10年頃のもの)(国立国会図書館デジタルコレクションより)
彼は、およそ3700日の行程の様子を欠かさずに記録しており、「伊能忠敬測量日記」からは、天候や泊まった場所、関係者の名前などを知ることができます。
文化7(1810)年に現在の宮崎県域で測量を行っており、日記からは現延岡市から海岸沿いに南下していったことが読み取れます。
同(四月)十三日朝大曇天(中略)日知屋村細嶋町湊出立(中略)岬を回り字脇ノ浜印迄測海岸絶壁波荒海岸測量難成山上を測(後略)・・・
これによると、細島を出発して周辺の測量を行ったものの、岬のあたりは「絶壁」に加え、「波荒(海が荒れていて)」で測量が難しく、海岸沿いを諦めて内陸部を測量したことが分かります。
なお、10月27日出に、宮崎県総合博物館主催の「宮崎の天然記念物めぐり〜日向岬」が開催されます。
日向岬の成り立ちなど、地質学の解説を受けながら岬を巡る講座です。この機会に、伊能忠敬らが測量に取り組んだ様子を想像し、岬を歩いてみてはいかがでしょうか。
伊能図の写しで、忠敬の測量を支えた高橋景保が、ドイツ人医師シーボルトに与えたもの。国外持ち出し禁止だったため、景保は逮捕され、獄死しました。(シーボルト事件)
国立国会図書館デジタルコレクション 「日本図(西日本)」