広報ひゅうが平成19(2007)年7月号
西南戦争と日向市

有栖川宮征討総督宮殿下御本営跡
明治10(1877)年の西南戦争の際には、日向市内でも激戦が展開されました。
市内のおもな戦跡としては、市街地の新町や細島、それに美々津をあげることができます。
これらの地域には、西郷軍と官軍の戦いを示す数々の文化財が残っています。
今回はそのうち一部を皆さんにご紹介します。
まず、細島には県指定の史跡になっている「有栖川征討総督宮殿下御本営跡(ありすがわせいとうそうとくのみやでんかごほんえいあと)」があります。
ここは有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)が、明治10年7月15日から8月20日まで滞在され、西郷軍を鎮圧するための指揮をとられたところで、今でも御本営当時の看板や親王の使われた高下駄などが残されています。
また、近くの丘の上には、官軍の迫田鉄五郎以下280余名が葬られている市の指定史跡「西南の役細島官軍墓地」もあり、当時の細島は官軍の拠点であったことが推察されます。
一方、新町には、西郷軍の司令官として知られる桐野利秋や西郷隆盛が立ち寄ったと言われています。
とくに、西郷隆盛については市の有形文化財となっている塩見の「正法寺年中日誌」に新町の佐藤仙吾宅に一泊したことが記されています。
このことから新町付近が西郷軍の拠点であったとみられます。
ところで、日向市での最大の激戦地は美々津の耳川でした。
耳川の決戦では、官軍が南岸に、西郷軍は飯谷付近の北岸に部隊を配置して激しい撃ち合いを行いましたが、結果的には西郷軍の敗北に終わっています。
今でも耳川の両岸には激戦を物語る土塁や石を積み上げた防御塁などがあちこちに残されています。
日向市文化財でも紹介しています。ご覧ください。